エリトリア正教会のアントニオス総主教が9日、死去した。94歳だった。教会に対するエリトリア政府の介入に抵抗したことで、15年以上にわたり軟禁された。翌10日にアブネ・アンドレアス修道院に埋葬された。
キリスト教権利擁護団体「世界キリスト教連帯」(CSW)は、エリトリアの信教の自由のために「勇気ある立場」を取ったとし、「深い信念を持った人物」「信仰の英雄」と称えるとともに、その死を惜しんだ。
アントニオス総主教は2004年4月、エリトリア正教会の第3代総主教に就任。しかし翌05年8月、政府により教会の指導的立場から実質的に外され、儀礼的な職務のみ許されるようになった。教会に対する政府の度重なる干渉に抵抗し、司祭3人が拘束されるなどした正教会刷新運動「マドハネアレム」を擁護したことが理由とされる。
06年1月には、教会法に則らない形で開催されたシノドス(教会会議)で解任させられる。07年5月まで総主教邸に事実上の軟禁状態に置かれ、その後、首都アスマラの非公開の場所に軟禁された。この年には、政府が承認したディオスコロス主教が総主教となるが、エジプトのコプト正教会は、ディオスコロス主教が15年に死去するまで、正式な総主教として承認することを拒否した。
アントニオス総主教は圧力に負けず反抗を続け、身体的自由を長年にわたって制限される中、自身の解任と軟禁を批判し続けた。
一方、19年には、親政府派の主教5人が、アントニオス総主教を異端だとする声明に署名し、公的権限をすべて剥奪されるなど、事実上破門された。これに対しアントニオス総主教は声明で、「エリトリア正教会のシノドスは、私の側に耳を傾けることのない告発者であり裁決者である。彼らはエリトリア正教会の教会法を破ったのだ」と述べていた。
CSWのマービン・トーマス創立会長は声明(英語)で、次のように述べた。
「アントニオス総主教は1991年以来、人道に対する罪を犯したとみなされる政権による教会の政治化よりも、自分の召命を優先させた深い信念を持った人でした。16年間の絶え間ない圧力、虐待、中傷にもかかわらず、総主教は決して妥協しませんでした。自分の復権につながる可能性があったときでさえもです。その代わり、老齢期の自由と快適さを犠牲にして、自身に託された教会の誠実さと教義を守ることを選択したのです」
その上でトーマス氏は国際社会に対し、アントニオス総主教が擁護した司祭3人と、信仰や信条を理由にエリトリアで恣意的に拘束されている他の数千人の解放のために努力し続けたアントニオス総主教の「勇気ある姿勢」に敬意を示すよう求めた。
また、アントニオス総主教が生前、この問題を訴えていたコプト正教会に対しては、エリトリア正教会で伝統に沿った継承がなされることを確かにするよう要請。現在は政府主導により、ケルロスが第5代総主教とされているが、「現職を認めることは、信仰の英雄の不当かつ不法な解任、投獄、虐待を正当化することに等しいことです」と訴えた。