ミキは家族の寝静まった深夜に、台所の明かりをたよりに聖書を読んでおりました。1章読み終わると、息をついて「神様、感謝します」とつぶやきました。
聖書を胸に抱き、今までの人生を顧みました。永い永い暇つぶしのような、膨大な時間を過ごしてしまいました。間もなくミキは、中年から老年を迎えるでしょう。この世のリズムに合わせて滑稽に踊り続けてきた自分に、これから何ができるというのだろう・・・そんな思いが込み上げます。神様のために、何ができるのか。そう願うミキのために、天が開かれ黄金の蜜が滴り落ち、ミキを包むようでした。
その蜜は言うようです。「求めよ。そうすれば与えられるだろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。天の父は、求めてくるものに聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ11:9~13)
朝が来て、食卓にはパンとスクランブルエッグを並べます。夫と息子はパジャマのまま食卓に着き、ミキが祈りの言葉を言うのも、いやな顔はしませんでした。教会に通い出したミキが信心深く生きようとする姿を、家族は悪くは思いませんでした。今まで生きがいもなく生きていたミキを哀れに思っていた分だけ、喜んでいたのです。まるで一筋の光が差し込んだように、家庭は明るくなっていました。イエス様というまぶしいお方の光が奇跡のように、暗がりの中にあったこの家をも照らしてくださったのです。
夫と息子が仕事に出、家のことを一通り済ませると、ミキは椅子に腰かけました。今日は、パートは休みです。一日という膨大な時間が目の前に押し寄せ、何もすることのないような空虚な気持ちが湧き上がります。‘やっぱりお前など、必要のない人間だ・・・’ そんなささやきが頭の中を巡ります。ミキは首を振って祈りました。「神様、今日という一日を祝福してください。私は家事くらいしかできることのない人間ですが、あなたの心のままに遣わしてください」
すると、その祈りを聞きつけたダニエルはミキのもとに降り立って、彼女の肩を抱くように、見えない空に昇りました。ミキは突然、とても高い所から町々を見渡している気持ちになりました。そこには、ぷつぷつと孤独があり、絶望や病、また愛の空腹がありました。その心の渇きの一つ一つを、苦しみを、感じました。
ミキの心に ‘祈り’ が与えられるようでした。周りを見渡すと、天の軍勢がミキと共にいるのが見えるようです。見えないはずのみ使いたちの、息吹も感じられるようでした。麗しい輪郭を帯びたみ使いたちは、歌うようです。ミキの心に力が与えられ、美しい霜が降りるように、祈りが生まれました。すると、一人の女の子が見えました。その女の子はミキのパート先である「ケアホーム・ひかりの家」で働く女の子でした。育ての親が悪いのか、態度も粗暴で口も悪く、でもどこかしら人懐っこいその子は、よく腕や顔に擦り傷やあざを作って仕事に来るのです。「どんな事情があるのだろう」と、ミキはリーダーの ‘アキラ’ と共に心配していたのです。まるで、彼女の置かれた境遇やその痛み、孤独が見えるようでした。ミキは手を組み、祈りました。乾いていた目からは、ぽろぽろ涙がこぼれます。神様はその涙を、麗しいささげ物のように受け取ってくださいました。
世界にごうごう風が吹いています。それはまるでうめきのようであり、また喜びあえいでいるようでした。底知れぬ、深い闇からその風は吹き、もろい人間の体を打ち続けます。そのような世界に、一筋の光のように十字架は立っておりました。この十字架にすがる者は暗闇の呪縛から解き放たれ、天の光にあずかるといわれています。また、この世界は見えない檻でできておりました。誰もが健康とお金さえあれば、自由にどこにでも行けるものだと信じておりましたが、実際のところこの強固な檻からは抜け出せる者などいなかったのです。
今は世の終わりも近づいた、闇の時代。暗闇に属する者たちはますますその力を強め、人の足首にはめた鎖をいっそう締め付けておりました。人はそれでも悲しいさだめを忘れるように、今日もスケジュール帳はぎっしりです。あんずのジャムづくりもいいでしょう。図書館で新しいことを勉強したり、皆で歌を歌って騒いだり、新調したソファの座り心地を堪能したり・・・。この世界を造られた方のことなど素知らぬ顔で、皆忙しくしておりました。
神様はそんな世界を見下ろして、天からぽろぽろと涙をこぼすようでした。自分に似せて造った人間の一人一人を、それは愛しておられたからです。神様の望みは、いつかエデンを造られたときのように神と人とが共に住まうことなのです。
神様はもはや、その都を用意しておられました。一人でも多くの子どもたちをその麗しき都に招きたいと、切に願っておられました。その独り子をこの世界にお遣わしになり、罪に呪われた者である私たちの身代わりとして十字架につけるほどに。
神様の愛の招きに応えたアキラやミキも、聖人になったわけではありません。この世界で、共に暗い風をその身に受けて、誘惑に晒されておりました。暗い所から吹く風は、罠に陥れようと絶えずささやき、アキラもミキも負けそうになることばかりです。それでも、神様の民とされた者たちのことを天のみ使いたちは取り囲み、暗闇の言葉を信じぬように守り続けていたのです。
ミキは時を忘れて祈り続けました。そしてしばらくの沈黙ののち、立ち上がり、台所に向かいました。明日のホームのメニューはちらし寿司です。生ものは出せないため、炙ったサーモンでバラの花を形づくる練習を始めました。
そして翌日、ミキはホームの台所に立っていました。リビングではみんなで輪投げの真っ最中。そんな中で所在なさげにしている女の子の姿を見つけ、「誰か、手伝って」と声を掛けました。女の子は台所に来ると、「何をすればいいの」と聞きました。「そうね、きゅうりを切って、塩もみをしてちょうだい」。ミキは頼みました。「きゅうりをどう切ればいいの? 塩もみって何?」何も知らない彼女に、ミキは一から教えてやったのです。まるで自分の娘のように、いとおしみながら。彼女の頬にできた新しい擦り傷に気付きました。頬に手を当ててあげたい気持ちが込み上げます。
彼女もまた、ミキをどこかに隠れていた本当の母親のように思いました。ミキは、リーダーのアキラを「アキラ兄」と呼んでいました。なんでも同じキリストの教会に行っていて、本当の家族のように思っているのだとか。自分もその輪の中に入ったならば、本当の家族のように愛してもらえるのでは・・・。そんなことが、ふと頭をよぎりました。しかし、すぐに首を振ってその思いを打ち消しました。期待すれば、裏切られる。希望を持てば、絶望する。暗闇の力にねじ伏せられるように、そう信じ込んでいたのです。
ミキは彼女を見て、教会に行きたての頃の自分を思い出しておりました。教会では、世界のために、この国のために、苦しんでいる人たちのために祈りがささげられておりました。当時のミキは、自分のことで手いっぱいで、会ったこともない誰かのために心から祈ることなどできませんでした。言葉では人のために祈りながら、‘祈られたいのは私のほうだ’ と憤り、悔し涙さえ込み上げたものでした。‘人のために祈れるなんて、どれだけ幸せな人たちなのだろう’ そう思っていたミキでさえ、多くの兄弟姉妹の祈りに支えられ、祈れる者に変えていただけたのでした。
祈れるようになったからといって、ミキは決して幸せな人間になれたわけではありませんでした。クリスチャンになってからのほうが、多くの戦いがあり、苦しみがありました。しかし、‘幸せな人’ でなくとも ‘幸いな人’ ではあるのだろうと思いました。自分の罪深さが分かり、低くされた代わりに、本当に力あり、麗しいお方を、見えるようにそばに感じました。そして聖霊が与えられ、その方の輝きに包まれる幸せにあずかりました。道しるべのなかった人生に、輝く天の御国に続く道がはっきりと照らされ、導きが与えられました。
ミキとアキラが遣わされた、この傷だらけの彼女も幸いな者でしょう。神様はすべてを完全に統べ治めるお方です。彼女は光をたどるように、求めるように、いつか十字架の門をたたくことができるでしょうか。それは誰でもない、彼女に任せられた歩みです。世界中にキリストの弟子たちが、み使いたちが遣わされ、神様の神秘的な招きはあふれています。人の死の床の深淵にまで神様の招きの御手は及んでおり、その憐れみの深さは人の想像をはるかに超えたものでした。
暗い風の吹きつける世界に、十字架が、決して倒れない旗のように掲げられておりました。すべて明るくなる日まで、すべて明るみに出される日まで、その旗は、暗い世界の風の中ではためいていることでしょう。
ミキもアキラも、一見上等な服を着て、髪も爪もきれいに整えられ、充実した人生を生きる社会人のように見えるでしょう。しかしその実は、灰をかぶって悔い改め、荒布をまとって神を求め、この世の故郷を捨てた者であり、本当の故郷である天の御国を想いながら荒野のような世界を行く、流浪の民でありました。キリストの弟子たちは、世界中の至る所に生きており、暗い風にたたかれながら励まし合って、自分の十字架を背負いながらこの道を歩んでおりました。キリストの苦難にあずかって、またキリストの恵みにあふれ、その顔は神の光に照らされるように輝いておりました。神の民である彼らは、神様の耐えない恵みと励ましを受け、神のおられることをその輝きで証明する者でありました。
女の子は、ホームの仕事の帰り道で車を走らせておりました。「帰る場所などない」そんな気持ちが込み上げます。 ダニエルはじっと、はるか彼方から彼女を見つめておりました。
ミキは今日もくたくたです。夕食は簡単なものにしよう、と冷蔵庫の食材をあれこれ思い巡らしました。「今日もよく働いた」そうつぶやいて自分を励ましました。
「ねえ、神様」。そう言って空を見上げると、満月が神様のまなざしのように温かくミキを照らしてくれるようでした。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。