明けの空の色がみるみると変わってゆく中を、小鳥のさえずりが響き始めました。花壇の葉の先には朝露の結晶がきらめいています。凍てつく夜に耐え忍んだ野良猫たちは、遠い地平の朝日を見て安堵しました。
「いってらっしゃい」。そう言って白い息を吐きながら夫を送り出したのは、まだ日の浅い信仰者、ユミでした。ユミの夫は、この街のはずれにある工業団地で働いております。まだ朝の暗いうちを、いろいろな国柄の人たちと、乗り合いバスに乗って工業団地に向かうのです。夫は1年前に、それまで勤めていた都会の会社を辞めました。ようやく職にありついた夫は、毎日一生懸命、寒い日も暑い日も、規則正しく勤めに出ているのです。都会で働いていた頃に比べて通勤時間もぐんと少なくなった分、夫婦で過ごす時間も増えました。お給料はずいぶん下がりましたが、日々には愛情といたわりがありました。
仕事を失ったときは、まるでこの世の終わりが来たかのような騒ぎが、暮らしを支配したものでした。それでも何度でも人生は新しい幕を開けて、新しい生活は始まりました。お湯に手を浸けて、食器をぷくぷく泡だらけにしてユミは食器を洗っています。先ほど回した洗濯機からは、柔軟剤の良いにおいが香ってきます。ユミは鼻歌で賛美を歌って食器を磨きました。洗濯物を干したら、ユミもパートに出る時間です。
夫が無職であった期間に、2人は近くの教会を訪ねました。バプテスマはまだでしたが、夫婦はイエス・キリストに‘すべて’の救いを求めて、教会に通いだしたのです。‘すべて’・・・それは罪からの救いにとどまらず、生活の不安から、心にうずくまって動かない暗闇からの救いでした。
イエス・キリストはそのすべての病に手を当てて、癒やしてくださるお方のようでありました。この方を知った今、今までこの方を知らずにどうやって生きてこられたのか、不思議に思ったほどでした。命に、一筋のまったき光が差し込んで、心の暗闇を少しずつ光に満ちあふれたるものへ変えてくださるこの癒やし主は、ユミの生活そのものをも明るくしてくれたのでした。
今まで白いワイシャツを着ていた夫が、ベージュの作業着を着て仕事に出かける姿にも、賛美が口をついたものでした。夫の手先は次第にゴツゴツと太くなり、ガサガサに荒れてゆきました。その手にハンドクリームを塗りながら、いつになく頼もしく思える夫をいとおしく思いました。
ユミはパン屋の厨房で働き始めておりました。店主は気が短く、怒鳴り散らすことも少なくはありませんでした。厨房の洗剤は安いものを使っており、ユミの弱い手はあっという間に荒れました。手を休めることは許されず、少しでも時間が空こうものなら漂白剤の入った水で店内を磨かせられました。どれほど頑張っても不満気な店主は、いつも何かに憤っているようで、ユミの夫が工業団地で働いていることをからかいました。
ユミと夫はこの転職を受けて、ずいぶんと低くされました。今までに感じることのなかった屈辱を感じることもありました。ユミはこの世の誉れではなく、真実の誉れを求めることを教えられ、慰められました。安息の地はもはや地上ではなく、天にあると思うことで心を支えていたのです。
以前からの知人の暮らしぶりに、悔しい思いをすることもありました。自分も以前は当然のように、その豊かさを享受していたものでした。そんな安穏とした暮らしの中で、いつの間にか自分の中に、強固な高ぶりが育っていたことにも気付かされたのです。
真夜中に目を覚まし、心に広がる暗がりを引きずって居間のテーブルに座ります。邪悪な黒い気配が大きな銅鑼(どら)を、ドンドコドンドコ叩いているのが聞こえます。心はいじけとねたみに支配されて、店主や以前の友人の顔がかわるがわる浮かんでは、銅鑼のリズムに踊りながらユミの暮らしぶりをばかにします。心はねたみと憎らしさに引き裂かれ、心は悪魔の形相で、刃を握りしめるのです。ユミは顔を撫でつけ、そんな心を抑えようと必死で祈りました。すると、祈りの糸の中を、イエス様がおりてきてくださるようなのです。イエス様は人の心の弱さもすべてご存じで、ふくよかな涙でユミを包んでくださるようでした。まるでイエス様に唇を導かれるように、ユミは覚えたての詩編を口にしておりました。
「心に恐れを覚える日、私はあなたに信頼します。神にあって、私はみことばをほめたたえます。神に信頼し、私は何も恐れません」(詩編56:3~)
花壇の花を咲かせるように、洗いざらしの髪の毛を乾かしてくださるように、イエス様はいつもユミのそばにおりました。夜半に夫の作業着にアイロンをかけているさなかだって。この方にだけ、ユミは明日のこともはるか先に住まう天でのこともすべて委ねる決意をしていたのです。
「おい、30分のうちに化粧箱を100個折っておけよ」。パン屋の店主はそう言い残して、商工会の会議に出てゆきました。「はい」。ユミは頭を下げながらもいら立ちました。店主は妻子もおり、ゴルフを趣味にしていました。ユミは化粧箱を折りながら、祈りました。
悔しい思いをした日の夜は、詩編を一生懸命読みました。ダビデをはじめとする著者たちが、苦しみの中で神にささげた祈りに心を重ねて読みました。ユミはそこで心の慰めと平安を得ていたのです。
「今日もお勉強かい」。お風呂から上がってそう問いかける夫に、ユミはうなずきほほ笑みました。夫は「何か飲み物でも入れようか」とユミの好きなアールグレイの紅茶を入れてくれるのです。
「私たちは幸せね・・・」。そう言って自分を励ましました。「そう、俺たちは幸せだ」。夫もほほ笑んで返します。夫だって、去年とはあまりに違う今の職場の環境に、いろいろな思いがあることでしょう。悔しい思いだってしているかもしれません。それでも文句の一つも言わずに毎日黙々と勤めに出る姿に、ユミは尊敬を抱いていました。ただでさえ早朝の出勤だというのに、ユミが起きる頃には夫はもう起きていて、小さく明かりをともして聖書を読んでいる夫の姿に励まされました。
翌日のパート先には、同じくらいの年頃に見受けられる見慣れぬ女性が、同じ制服に着替えて早くに来ておりました。店主はそれはうやうやしくその女性を扱い、「新しく入った子だから、よく教えてやるように」とユミに言いつけました。なんでも商工会の仲間の奥さんで、子どもを預けている間の退屈しのぎに働きたいと頼まれたというのです。老舗のお店の婦人だから、つらい仕事はやらせないようにと店主はユミに言いつけました。ユミは言いつけ通りに、化粧箱につけるリボン造りや店内の飾りつけをその女性に教えました。女性は陽気な性格で、ユミが店内を磨いているさなかもリボンを折り、やんちゃな息子のいたずら話をよく喋りました。「目の中に入れてもいたくない」と繰り返して笑うのです。
仕事が終わると、店の外は雨でした。女性は車に乗って、「送っていきましょうか」とユミに言いました。ユミは傘を忘れておりましたが、なぜか「大丈夫。近くだから」と返していました。
こんな小雨、大したことないわ、とユミは早足で歩きだしましたが、どうしてでしょうか、その足取りはだんだんと緩み、ユミは電柱に寄りかかってしくしくと泣き始めました。夫に合わせる顔がない、と思いました。
その時、ふと優しい風が吹きました。そして雨がやみました。顔を上げると、背が高く、女のような美しい髪を持った男性のような人が、傘をかざしてくれていたのです。その人はまるで人間ではないように美しく、ユミは驚きました。
「さあ、家に帰りましょう」。その声の響きは、まるで天から響く笛のようであり、ユミは甘美なお酒に酔うように「はい」と答え、歩き出しました。不思議です。この人と歩いているだけで、まるで天の国を歩いているようなのです。雨粒は七色にきらめいて、一粒一粒がきれいです。美しい笛のような声が響きます。
「死も、いのちも、み使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:38~)
その言葉は脈々と流れる血のように、ユミの体の中に流れ込んできたのです。雨は優しく、そして悲しく、降り注いでおりました。「さあ、安心してお行きなさい」。そう声がしたかと思うと、ユミは大きな水色の傘を持って立っており、先ほどまで共に歩いていた人はおりませんでした。驚いてあたりを見回すと、大きな鳥が雨の中をたった一羽で飛んでいるのが見えました。
ユミは今日の不思議な出来事を、帰って来た夫に話そうとしましたが、「不思議な人に会ったの」と言ったきり、それ以上語ることはできませんでした。ユミは一晩中、今日の不思議な出来事に思いを巡らせておりました。そして、職場を変えるべきかも思いめぐらし、祈りました。祈っているうちにまぶたが重くなり、眠ってしまいました。まるで主が、疲れたユミをいたわって、その指でまぶたをおろさせてくださったようでした。
朝が来て、ユミはいつものように食器洗いと洗濯を済ませて出勤の時間を迎えました。ドアを出て空を見上げると、大きな鳥が一羽、羽を広げて飛んでいるのが見えました。先のことは分からないけれど、今日はがんばろう。ユミは、心に虹がかかるようにそう思って歩き出していたのです。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。