澄み切った冬の風が音を立てながら吹いています。空は群青色、まだ夜が明ける前、すべてが寝静まった神秘の時間。野良猫たちも鳩たちも身を寄せ合って寒い夜を耐え忍び、ふと空の色がみるみると多彩な色彩を帯びながら変わってゆくのに目を留めます。
そう、間もなく桃色に空が染まると朝日が昇り、暖かな日差しがにじみ、すべてのいのちを温めてくれるのです。神を信じる者たちも、木枯らしの吹き荒れる日を耐えながら、心に太陽が昇りまた温もれる日を待ち望みます。今は、世の終わりも近づいた、暗闇の時。信仰者たちは荒れ狂う世の波の中でじっと身を寄せ合って、本当の光が世界に昇る日を待ち望んでいたのです。
そんなか弱い者たちにそっと寄り添っていたのは、神様から遣わされた幾億ものみ使いたちでありました。み使いたちは、神を信じる者たちが足を踏み外さないように、暗がりに沈み込むことのないように、この闇の時代を一層懸命に働き続けていたのです。
ものがたりの案内人はダニエル。神様に仕えるみ使いです。ダニエルは神様の息吹そのもので出来た美しい光のからだをしておりました。そのまなざしは、神様の憐(あわ)れみを宿し、黒糖のように輝いておりました。
ダニエルはその瞳で、雲の上に光のからだを溶けいらせて世界を見つめておりました。闇の中にごうごう燃え立つ炎が見えます。それは人の罪の炎でした。この炎はまるで世界を覆い尽くす大きな龍のようなからだをしてうごめくように燃え盛り、その火は絶えることはなかったのです。
そんな戦火のような世界の中に、白く立ち上る光の筋が幾重にも天に昇っておりました。それは信仰者たちのうめきのような祈りでした。ダニエルはその祈りに深く心を痛めながら、心を寄せては身をひるがえし祈りのもとへと向かいます。
間もなくこの世界は終わりを迎えようとしております。終焉の時、本当の光が天からやってくるといわれます。その日を待ち望む信仰者たちを、ダニエルは今日も龍の炎にのまれることのないように、力づけていたのです。
リカのものがたり
その幼き信仰者はリカといいました。リカはまだ若く、あどけなさを残した顔立ちでラムネをかじっておりました。リカの昼食はラムネを8つ。ラムネを大切に握りしめながら、午後の陽光の差し込む中をまどろんでおりました。冬晴れの雲の隙間から陽光が降り注いで、カーテンの隙間で薄いガーゼのように揺れています。ガスストーブをゆるく点けて、加湿器からコポコポと水滴が垂れる音を聞きながら、心の芯から温まっているのを感じていました。テーブルに肘をついてうつらうつらと夢見心地で、まるで淡い夢の中を漂っているようでした。
「イエス様・・・」。リカはつぶやいておりました。不思議です。つらいことばかりだったと豪語してきた自分の人生であったはずですが、なぜだか良いことしか思い出すことができないような気分です。まるで神様のベールが、痛みや傷をまどろみのように包み込んでくださっているようでした。傷はまだ完全に癒えたといえませんが、それでもどうしてでしょうか、こんな午後は自分がずっと神様に愛され守られてきた、幸せな少女であったような気持ちがします。
思えばリカの与えられてきた愛情は、いつも条件付きでありました。もっと言うことを聞けば、もっとかわいければ、もっと自分たちを良い気分にしてくれるなら、愛してあげる。そんなお手伝いのご褒美のような愛情に、リカは疲れ果てておりました。そして、もうこれ以上は歩けないというほどに疲れ果てたある日に、イエス・キリストを知ったのです。
その愛は、条件付きではない気がしました。リカが今まで知ってきた‘愛’とは根本的に違う、これこそ愛なのではないかと思いました。リカは初めて出会ったその愛にしがみつきました。まるで生まれたばかりの赤子が、母の乳房を探すように。
リカはあばらが浮き出るほどに瘦せていましたが、それでもラムネやバナナをかじっただけで食べ過ぎている気がしていました。いつか本当の愛に出会えたなら、自分は満足に食べられるのではないかと思ってきました。まさかその期待する相手が、人間ではなく「神様」であろうとは思ってもみなかったことでした。
イエス様を知った日には、魔法のようにすべての問題が瞬時に消えてくれる予感がしました。しかしリカの抱えているいろいろな問題は、あっという間に消えることはなく、根深く残り続けました。それであってもリカは信じていたのです。この方こそ本当の癒やし主で、リカの心の病魔をきっと癒やしてくださると。
聖書を読むことも覚えたてでありましたが、聖書の中に「肉の父ですら子どもに良いものを与えようとするのに、天の父がもっと良いものを与えてくださらないわけはない」そんなことが書かれていました。だからリカは‘もっと良いもの’を与えていただける日が来ることを、幼子のようにまっすぐに信じ続けていたのです。
「イエス様・・・」。まるで愛しい兄を呼ぶように、リカはその名を呼びました。愛しい兄はリカをそれは優しいまなざしで見つめてくれているのを感じていました。
あっという間にではありませんでしたが、イエス様の癒やしの魔法はリカの生活を少しずつ変えておりました。昔は時間が余れば携帯電話を握りしめ、かたっぱしから電話をかけては寂しさを埋めてまた人に迷惑をかけていたリカでしたが、今はそんな癖もずいぶんと良くなりました。まるで傷ついた場所の血が固まり始め、かさぶたになり、徐々に新しい皮膚が出来るようにゆっくりと、癒やしの御業は今も行われていたのです。
リカはまどろむように眠りに落ちてゆきました。眠りに落ちる瞬間に、神様に祈りをつぶやきました。「それでもまだ人が怖いの。人を愛することが怖いのです」
リカが救われる以前からずっとリカを見守っていたダニエルは、その祈りのもとへと降り立ちました。リカの夢は一粒の水色の涙の中にありました。涙の世界でリカは大きな交差点の真ん中、群衆の雑踏の中におりました。そこで幼子の姿をしておびえている、それがリカの心でした。
ダニエルはリカの隣に降り立ちました。「迷子ですか?」小さなリカは振り向いて、ダニエルの白い衣の裾をつかみました。「みんな私を見捨てるのよ」。ぽつりぽつりと雨が降り出し、群衆は傘を差し出しました。
雨粒の中にはリカの記憶が映っています。お父さんとお母さんがいなくなっていた冷たい布団・・・要塞のような養護施設・・・一人ぼっちの下校道・・・道化師のように張り付いた笑顔で皆と仲良くしようとした日。
ダニエルはリカの背中にそっと大きな手を当てるとしゃがみ込み、リカと一緒に群衆を見つめました。「これからもあなたを棄てる人はいるでしょう。でも天のお父様が何と言っているか、あなたはもう知っているでしょう」
ふと見上げると、雨はやんでおりました・・・。空に薄い虹がかかり、リカは驚きました。
コクンと首がもたげ、驚いてリカは目を覚ましました。部屋を見渡しても先ほどの天使様のような方はおりません。しかし、ずいぶん前からリカはあの天使様を知っているような気がしました。
テーブルの上に開かれたままの聖書に手を伸ばし、膝の上に置き目を落としました。その箇所はまだ開いたこともないイザヤ書でした。リカの心に、そのみことばは留まりました。「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」(イザ49:15)。リカの心は震えました。
み使いとは、聖なる者たちを守り支えるために、神様が遣わした者たちです。信仰者は大いなる息吹によって造られたみ使いたちに取り囲まれて、いつも守られているのです。神様はそれほどまでに、ご自身の民と定められた者たちを愛していておられました。
リカの望みは‘完全に傷が癒え、傷のない人間’になることでした。ですが、傷さえも神様のご計画のうちにあり、その傷跡から憐れみや愛があふれ出すことをリカはまだ知りませんでした。
リカはラムネを口いっぱいにほおばって、かみしめました。まるで神様の愛のように、それは甘く、喉の奥まで染み入りました。
私たちは人さえ大切にできていれば、自分は罪を犯していないと思いがちです。しかし、神様の愛する自分自身を大切にできないのでは、初めから神様を悲しませているのだと言われます。
リカの心に「自分を大切にできますように」そんな望みが木漏れ日の中の野花の芽のように根を張り始めておりました。ラムネが空になったのを見ると、リカは髪の毛を整えて靴を履き、玄関を飛び出しました。ずっと行ってみたかったオムレツ屋さんが心に思い立ったのです。今まで人並みに食べて、戻さずに飲み込めたことは皆無と言ってもよかったのですが、なんだか今日は食べられる予感がするのです。
いくつもの垣根を抜けて商店街に出ると、夕暮れの買い物客でにぎわっておりました。たくさんの母親たちが、家族に食べさせるものを探しています。リカは心でつぶやきました。
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」(天には本当のお父さんがいて、その私のお父さんは本当にお優しい方で、私が膝に歩み寄ると必ず喜んで抱き寄せてくださる方なんだ。この世の誰に見捨てられようとも、天のお父さんだけは私を熱く愛してくださる・・・イエス様を十字架にかけられたほどに)
そう思って空を見上げました。薄い雲が流れて、空の色彩に溶けてゆきます。リカはもっともっとそのお方のもとに近づきたいと、胸を熱くしました。
今は世界の終わりも近づいた、暗闇の時。愛が冷え、まず、自分を愛する愛から温度をなくしてゆくのです。自分に対して愛を失った人たちが、果たして人を愛せるでしょうか。どうにか自分を愛そうと、自分に条件を付けて愛そうとする人があふれます。何ができるから、何を持っているから、自分は尊い。そのような愛は本当の自分を見誤り、人を見下げるまなざしに育つことも多いでしょう。神様のお見つめになるまなざしのもとでは、どんな虚栄もうそも暴かれて、ありのままの姿がさらされます。そのまなざしに耐え得る人がどれほどいることでしょうか。
そしてありのままの私たちは、神様の聖らかさを前にしたら耐えがたいほどに汚れと悪臭に満ちていることでしょう。しかし、その醜さを覆ってくださる方がおり、リカはその方を信じていました。
「たといあなた方の罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」(イザ1:18)
そのように私たちのあられもない醜さをも覆ってくださるために十字架についた方を、リカは信じて歩もうとしているのです。
さて、オムレツを前にして飢えに飢え切ったリカは、よだれをごくりと飲み込みました。そのよだれさえも自分を太らす気がして身震いしました。それでも「神様」と小さくささやき、オムレツにナイフを入れました。一口ほおばると、バターと卵液が口の中に広がって甘く心を満たしました。「おいしい」。リカはつぶやきました。
「おいしいです。神様」。ぐっと涙がこみ上げます。しかし指先が震えて、それ以上は食べることができませんでした。ダニエルは震えるリカの手に大きな手をそっと重ねておりました。「少しずつでいいんだ」。ダニエルのささやきが聞こえたのでしょうか。リカは安心して水を一口飲みました。
明日はもっと自分を愛することができますように・・・。神様の愛される自分自身を、いたわれる日が来ますように。リカは心から祈りました。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。2018年4月1日イースターに、加須市の東埼玉バプテスト教会において、木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。結婚を機に、我孫子バプテスト教会に転籍し、夫と猫と3人で暮らしながら教会生活にいそしむ。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。