イエスは「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と語ります。イスラエルの国会議員ニコデモは「もう一度お母さんのお腹に入るのですか?」と聞き返しました。
人はそう簡単に変われませんし、もう一度お母さんのお腹に戻って、生まれ直しでもしなければ、新しい人になることは不可能のように思えます。犯罪者が有罪判決を受け、刑務所生活を全うして出所しても、再犯率は高く、また刑務所に出戻りする人が多くいます。
なかなか変われない理由の一つは「変わりたい!」と心底思えていないからでしょう。すべての受刑者の心の内を知ることはできませんが、罪を犯したことを心底反省しているよりも、「運悪く捕まってしまった!? 同じように悪いことをしていても捕まらないやつもいるのにチクショー!」などと思っている人もいては、変わることは難しいです。
「ミッション・バラバ」という「ヤクザがクリスチャンや牧師になった伝道団体」があります。TVや週刊誌で取り上げられ、映画にもなりました。人が変わるのはそれだけ難しいので、誰もが興味を持つだろうと思います。
人が変わる領域には、① 見た目、② やること、③ 人格・本質があります。① の「見た目」を変えることは「孫でも衣装」でそう難しくはありません。② の「やること」の変化は、「ヤクザだった人がクリスチャンになり、さらに、牧師になった!?」と劇的に変わっているので分かりやすいです。しかもいい変化です。高官や著名な人が転落するという変化もありますが、良い方向への変化は非常に珍しく、それが本当だとしたら、多くの人に希望を与えます。
最後は ③「人格や本質」部分の変化です。これには多くの時間がかかりますし、非常に困難です。また、演技をしたり、変わったふりをしたりして人の目に隠すことも可能なので、後回しにされがちです。
ある人から質問を受けました。「牧師さん、人は本当に変われるのでしょうか? クリスチャンのある特定の人を見ていると、全然変わっていないように見えます。どういうことでしょうか。教えてください」
人は「変わりたい!」と心底思わなければ変わることはできません。「変わりたい!」と思っても、自分のチカラで自分を変えようとすることは、さながら背中に強力ギブスのようなものが取り付けてあって、一生懸命前に行こうとしても、しばらくして疲れて元に戻されてしまうように、人の本質は簡単には変わりません。
そういう不可能の壁を超えて、神が人間を救い、変えてくださいます。「神の救い」には「3つの段階」があります。「神学用語」を使うと、① 義認、② 聖化、③ 栄化です。
① の「義認」は、信じるだけで、神がしてくださったことを私がしたこととしていただけるので、義と認められ、永遠の命と天国のパスポートを頂けます。この時点では、人格や本質部分は変わっていない場合がほとんどです。
次は、一足飛びに ③ の「栄化」ですが、変わっていなかった人が、この世を去って神の前に立つときに、イエス様と同じ姿に変えられます。完全な人間の状態に変えられます。神の救いは、私もあなたも完全に変えてくださいます。あのとんでもないやつもです。
最後に ② の「聖化」は、今のあなたがその完全な人に変えられるまでのプロセスです。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(2コリント3:18)
人が変わることは極めて困難ですが、可能です。
イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ18:27)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17)
今まで変わりたいと思って失敗してきた人も、あなたが誰であっても、どんな過去があっても、今どんな絶望的な状態にあっても、人は変われる。人生はどこからでもやり直せる。
聖書が「生まれ変わりなさい」と語る言葉の意味は、古いあなたに死んで、新しく生まれ変わるという意味ですが、「自分のチカラで自分を新しくしなさい」ということではなく、神のチカラがあなたを変えてくださるのです。
人生を諦めたり、投げ出したり、自暴自棄にならないでください。あなたを造り、あなたを愛しておられる全知全能の神があなたと共におられるので大丈夫です。すべてのことに失望し、絶望しても、神には希望があります。
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