聖書には、「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか」(箴言18章14節)と書かれています。救い主であるイエス様は、私たちの罪を背負われたときには、「私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました」(詩篇22篇14節)という心の溶解を体験されました。これ以上の苦しみはありません。しかしこの苦しみは、私たちが背負うべき苦しみだったのです。イエス様は、私たちに先立って苦しみを自ら背負われました。
今日、十字架につけられたイエス様に近づいて、この方のもとに心の葛藤、悩み、苦しみ、どうしようもない痛みを下ろしましょう。コロナ禍、それに付随する問題、健康のこと、人間関係や経済的問題など、心配、恐れ、苦しみを通してイエス様と出会い、触れていただきましょう。
問題がないと、すぐにイエス様を忘れてしまいやすいのが私たちではないでしょうか。イエス様は、ご自身に目を向けさせ、近づかせるために、試練を許されます。しかし、その試練をイエス様は先に味わわれたのです。あなたの苦しみの中で、イエス様は共に苦しみを味わいながら、共におられるのです。主の苦しみがあなたを癒やすのです。
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53章5節)
ステキな一日でありますように。
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