もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(1ヨハネ1:9)
あなたがおすし屋さんに入ってカウンターに座っていると店のご主人がトイレから手も洗わずに出て来て「いらっしゃい。何握りましょうか」と言う。あなたが「手は洗わないんですか」と聞く。するとご主人は「大丈夫、2つ、3つ握ればきれいになりますから」と言った。
さあ、あなたはこのおすしが食べられますか。
次にお吸い物を注文するとハエが1匹入っています。「ご主人、中でハエが溺れていますよ」と言うと「ええ、ハエは泳げませんからね。もし気になるなら引っぱり出してからお召し上がりください」という答え。
さあ、あなたはこのお吸い物が飲めますか。
相手は目に見えない細菌であり、小さなハエ1匹です。そんなに気にする必要はないのでは。しかし普通の神経の持ち主なら拒否するでしょう。私たちは、細菌やハエは気にしますが、私たちを汚すもっと恐ろしいものには無頓着です。それは、心の中の汚れです。聖書はそれを「罪」と呼びます。
イエス・キリストのことばです。
人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て、人を汚すのです。(マルコ7:20〜23)
罪は人の人生を必ず破壊します。映画「空っぽの町」の中で「あらゆる文明や帝国の滅亡には共通の要素がある。それは偶像礼拝と不品行のまん延である」と説明されています。
西暦79年8月24日、ベスビオ火山の噴火で人口2万人のポンペイの町は火砕流と火山灰で19時間で滅亡しました。遺跡の発掘で分かったことは、人々は美の女神ヴィーナスを信仰し、不道徳と不品行が町中にあふれていたことです。罪を犯すと良心が痛みます。しかしその良心の声を無視し続けると良心の声が段々小さくなります。
それは神が許可されたのではなく神の声が届かない滅びの淵までもう来ているという危険な状況です。しかしまだ間に合います。イエス・キリストが十字架の上で私たちの罪のために死なれ、3日目によみがえられたことを信じて告白するならあなたのすべての罪は赦されるのです。
米国のコロラド州レイクウッドにビル・フェイという牧師がいます。現在の彼の姿から彼の過去を想像できる人はいません。彼は若くして父親を失い、経済的に困って盗み、強盗を繰り返します。
22歳の時マフィアの手下となり非合法的ビジネスで大金を手に入れます。運転手付きのリムジンを乗り回し、毎晩大金を叩いて豪遊する生活でした。さらに売春ビジネスに手を出し、ついには盗品売買で逮捕されます。4度目の結婚の妻が自分たちの結婚式の司式をしてくれた牧師に依頼し、彼に会ってもらいます。
牧師は彼にイエス・キリストの福音を語り、「一緒に祈ろう」と言って彼のために祈ってくれました。すると、突然彼は泣き崩れ30分も泣き続けたのです。そして泣き終わると別人のような顔をして立ち上がり「私はイエス・キリストに出会った」と翌日から囚人仲間にキリストを伝え始めたのです。
釈放された後今日までの20年間で彼は個人伝道で2万5千人の人々をキリストに導いてきました。ビル・フェイ牧師は言います。「思い出すと、今でも涙が出ます。イエス・キリストについて話すのが何よりうれしいことです。昔の私のように迷っている人を一人でも多くキリストのもとに導きたいのです」
どのような状況にあろうと、イエス・キリストは人の心をつくり変えることができるお方です。
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