ある夫婦はけんか中でもう丸二日も口をきいていません。夫は次の日出張で朝早く家を出なくてはなりません。早起きが苦手な夫は妻に朝起こしてほしいのですが、けんか中で口をきいてもらえません。そこでメモ用紙に「明日の朝5時に起こせ!」と書いて妻に渡しました。
次の朝起きて時計を見ると7時を回っています。完全に遅刻です。夫は頭に来て、妻に向かって怒鳴りました。「あれほど頼んでおいたのに、どうして起こしてくれなかったんだ!」
すると妻は無言で夫のベットの枕元を指したのです。見るとそこに1枚のメモ用紙にメッセージが書いてありました。「5時だ、起きろ!」
このケースのように時と場合によっては手紙ではなく、言葉を声に出して表現しないと伝わらないことがあります。しかし手紙に書かれたものは何度も読み返すことができて相手の気持ちをしっかりと受け止めることができるのです。聖書は天地万物の創造者である神、人類の歴史の支配者である神からのメッセージが記された私たちへの手紙です。何度も何度も読み直すことで神のみ心や神のご人格や神の計画を深く理解することができます。
「ヤコブの手紙」という映画があります。この映画は第66回フィンランド・アカデミー賞で、作品賞、監督賞など4部門に輝き、第33回カイロ国際映画祭グランプリでは脚本賞などを受賞しています。
内容は実話に基づいて作られたものです。1970年代にフィンランドの片田舎で、中年女性レイラは殺人罪で刑務所にいましたが、12年後に模範囚として恩赦を受けて刑務所から釈放されます。身寄りのない彼女は行く当てがなかったのですが、そんな彼女を目の不自由なヤコブ牧師が引き取り、住み込みで働くことになります。
レイラの仕事は毎日ヤコブ牧師の元に届く相談事の手紙を代読し、ヤコブ牧師が指示したように返事を代筆することでした。しかしレイラはその仕事が好きになれず、ヤコブ牧師への手紙を勝手に井戸に投げ捨てたのです。手紙を読み、相談事の内容について祈り、返事を書くことが生きがいになっていたヤコブ牧師は、毎日届いた手紙が全く届かなくなり、すっかり気落ちしてしまいます。
レイラはヤコブ牧師の家を出て行こうとしましたが、結局、自分にはどこにも行く所がないことに深く絶望します。そしてあらためて、こんな自分を受け入れてくれたヤコブ牧師の愛に気付き、ようやくヤコブ牧師に心を開き始めます。
ある日、レイラはヤコブ牧師に久しぶりに相談の手紙が来たとうそを告げます。そしてまるで手紙を読んでいるかのようなふりをして自分の事を話し始めるのです。
「親愛なるヤコブ牧師、私は赤ちゃんの時母親から虐待を受けました。しかし姉は身をていして、私の代わりに母親に殴られました。姉が結婚した相手も姉に暴力を振るう男でした。ある日、私は姉を虐待するその男を刺して殺してしまったのです。姉を守るつもりが姉の大切な夫を奪う結果となってしまいました。姉はきっと私のことを恨んでいると思います。こんな私でも赦されるでしょうか」
ヤコブ牧師はそれを聞きながら、それはレイラ自身のことだと分かります。そしてヤコブ牧師は「人にはできないが、神にはできる」という聖書のことばを引用し、レイラのお姉さんが彼女の恩赦を願うために、ヤコブ牧師に送ってきた何通もの手紙の束を見せます。
そのお姉さんの手紙の内容はこうでした。「何度も妹に面会を申請しましたが、その都度妹に断られました。妹は私の苦しみの唯一の理解者です。今、妹を失ったら私は一人ぼっちです。せめてレイラが平穏に暮らしているかだけでも知りたいのです」
ヤコブ牧師はレイラを神の愛とキリストの罪の赦しを信じる信仰へと導きます。こうしてレイラとヤコブ牧師の心が通えたのも束の間ヤコブ牧師は天国に召されます。レイラは姉からの手紙を携えて、姉の住むヘルシンキへと向かいます。レイラの顔は希望と喜びに満ちています。
同様にあなたが聖書を通して語られる神の愛、イエス・キリストの赦しを受けたなら、あなたの心にも勇気や希望や平安があふれることでしょう。
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