2月末から4月19日(日)にかけ、継続的な「傾聴」の働きを担う「善き隣人バンク」発足に向け、クラウドファンディングを実施しています。多くの皆様からご支援や応援メッセージを頂き、わずか10日間ほどで目標に到達しました。現在、新たなチャレンジ目標を設定し、プロジェクトを継続中です。
「傾聴」を通した福音宣教の働きが、多くの皆様に受け入れられる機会になることを心より期待しています。さらなるご支援、応援を期待しています。クラウドファンディングの詳細はこちら。
「善き隣人バンク」では、「傾聴」の働きを実施しますが、「傾聴」とは、ひたすらお話を聴かせていただくことですから、誰でも簡単にできるように思われるかもしれません。しかし、実際に体験してみると、意外に奥が深いことに気付かされます。今回は、「傾聴」の働きでやってはいけないポイントを3つお伝えします。
「傾聴」の働きで注意すべきこと(やってはいけないこと)
1)アドバイスをしないこと
私たちは、弱さを抱える方に寄り添うとき、ついアドバイスをしたくなるものです。自分のアドバイスが相手を支えると考えがちです。
もちろん、その場にふさわしい的確なアドバイスならいいでしょうが、多くの場合、相手の状況をよく理解せず、傷んだ心に土足で踏み入ることになりがちです。「傾聴」は、心の底から相手を理解し、受け入れる働きです。アドバイスは極力避けるべきです。
2)説得しないこと
社会で責任ある立場に立つと、人前で話す機会が増えます。相手に自分の考えや方針を伝える機会が増えてきます。経験が多くなると、相手を説得したくなるものだと思います。
一方、心の痛みを抱える方に対する「傾聴」の働きでは、語る主役は自分ではなく、相手の方になります。当然ですが、説得するようなことは、ほとんどありません。ひたすら相手の状況に寄り添い、お話を聴かせていただく姿勢を学びたいものです。
3)同情しないこと
人は通常、共感はされたいものですが、同情はされたくありません。しかし、「傾聴」の働きの中で、共感しているつもりが、意図せず同情になってしまうことが度々生じます。
同情は、相手の状況を知って、そこに自分の気持ちを当てはめていくことですから、主役が相手ではなく自分になっています。一方、共感は、相手の立場に立って、相手の思いを理解しようとする試みですから、主役は相手になります。同情と共感の違いを正しく理解し、相手の立場に立った共感の姿勢がとれるようになりたいものです。
「傾聴」を苦手とする教職者
教師や牧師は相手に教えることを日々の仕事としています。どうしても主役が自分になりがちです。当然ながら「傾聴」の働きに対しては、苦手意識を持っておられる方が多いと思います。しかも、常に指導的な立場にあるため、「傾聴」の姿勢を学びにくい現実があると思います。
このようなことから、「善き隣人バンク」における実務展開には、一般社会で「傾聴」を日々実践しておられる方が、主に働きを担うことになります。教職者は、連携を持ちつつも、一歩下がって脇役に徹する方がいいと思います。
ただ、「傾聴」の働きの節目には、通過儀礼の司式や洗礼の必要が生じ、その際には、メッセージを伝え、祈りを導く教職者の存在は不可欠になります。その際、初めて出番が回ってくるのではなく、日頃から良い連携を持ってこの働きに加わっていただきたいと思います。
教会には人材が備えられている
日本の教会は、教会員の数が伸び悩み、高齢化が進んでいます。旧来の宣教手法が必ずしも功を奏していない現実があると思います。しかし、教会の中には、「傾聴」スキルの高い「善き隣人バンク」の働きにふさわしい人材が大勢おられます。また、節目にメッセージを伝え、祈りを導く教職者も備えられています。
保守的な傾向を持つ日本のキリスト教会が、私たちの働きを積極的に取り入れることは難しいことかもしれません。しかし、この働きが拡大展開する先には、教会が、教会の組織的な働きとして、積極的に加わってくださるようになると信じています。日本宣教の扉は、キリスト教会の人材が、弱さを抱える人々を訪問し、「傾聴」を繰り返すことで開かれると考えています。
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