新約聖書と初期キリスト教が専門の著名な神学者であるニコラス・トマス・ライト氏(71)によると、大抵の現代人は天国を死後に行く世界と信じているが、新約聖書が書かれた時代の初期のキリスト教徒たちは、そのようには信じていなかったという。
ライト氏は昨年12月、米タイム誌に掲載した寄稿(英語)で、初期のキリスト教徒は現代人とは対照的に、天国は死後に行く場所だとは考えていなかったと強調した。新約聖書が書かれた当時、「人は死後、天国に行く」という概念を信じていたのは、ローマ時代のギリシャの著述家で、神託で知られていたデルフォイの神官も務めたプルタルコスをはじめとする「中期プラトン主義者」たちだったという。
「イエスの最初の信者たちが死後どうなるかについて信じていたことを理解するには、新約聖書の世界観、つまりユダヤ的希望の世界観、ローマ帝国主義下の世界観、ギリシャ思想の世界観を通して新約聖書を読む必要があります。そのような複雑な環境で育ったイエスの信者たちは『天』と『地』を双子のような被造物、つまり神の空間と人間の空間という瓜二つの被造物として見ていたのです」
ライト氏によると、初期のキリスト教徒は、神が人を地から救うのではなく、神が天と地を融合させて被造物を新しくし、この世をすべての病状から回復させてくださると信じていた。
「その後(この世をすべての病状から回復させた後)神はご自分の民を死からよみがえらせると彼らは信じていたのです。神がそうするのは、救い出して新しくした被造物をご自分の民と共有するためであり、ご自身が管理しているものを民と分かち合うためなのです」
キリストの復活は、被造物を新しくするこの偉大な御業の初穂であり、最初期の信者たちはそう理解していた、とライト氏は言う。
「イエスは『天』と『地』の完全な融合をご自身のうちに体現されました。つまり、イエスのうちに古代ユダヤの希望がついに実現したのです。ポイントは『天国に行く』ことではなく、天のいのちが地上に到来することでした」。ライト氏はそう述べ、イエスが弟子たちに「天になるごとく、御国をこの地に来たらせたまえ」と祈るよう教えたことを指摘した。
「3世紀の頃には聖書教師の一部がこの概念をプラトン主義と融合させ、『地上を離れて天に行く』という概念を生み出そうと試みました。中世になるとこの考え方が主流になりましたが、イエスの弟子たちはそのような考え方はしていませんでした」
福音を十分に理解するには、新約聖書に流れるユダヤ的思考に気付く必要がある、とライト氏は以前、クリスチャンポストとのインタビュー(英語)で語っていた。しかし、さまざまな理由から、そのユダヤ的思考は何世紀にもわたって失われてしまったという。
「(パウロは)ユダヤ的思考や物言い、表現方法を一度もやめたことがありません。つまりパウロは、唯一なる神が真のメシアを遣わしたと信じていたのです。時代を経る中で異教的要素を取り込んだキリスト教は、しばしばこのユダヤ的概念を無視しようとしたり、消し去ろうとしたりすることさえあります。『キリストの教え』を本質的に非ユダヤ的な宗教に変質させてしまい、パウロの主題を副題程度のものにおとしめてしまっているのです」
2世紀以降、非ユダヤ的集団は救いのメッセージを平坦化し、古代イスラエルの理解を「新興宗教的なもの」、あるいはいわゆる「救われる」というメッセージに変質させてしまった、とライト氏は語る。
そして、タイム誌に掲載した寄稿では、次のようにつづっている。
「イスラエルの正典は、神が再び戻って来られ、直接的にご自分の民と永遠に住まわれると長年約束していました。初期のキリスト教徒はそれを次のように表現しました。『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた』(ヨハネ1:14、新改訳)。『住まわれた』という言葉は、字義通りには『幕屋を張られた、天幕を張った』という意味です。モーセの時代の荒野における『幕屋』やソロモンが建てた神殿を暗示しています」
「新約聖書を(私たちの期待に合わせて押しつぶしたり、刻んだりするのではなく)歴史に沿って学び、新約聖書独自の世界観で見るなら、初期のキリスト教徒は『死後、天国に行く』とは考えておらず、神がイエスにあって彼らと共に住むようになると考えていたことが分かります」
「現代人には、このような理解をするのは難しいです。とても多くの賛美歌や祈り、説教などが『天国に行くこと』について語っているからです」とライト氏は続けた。
米ピュー研究所が2014年に実施した宗教観調査(英語)では、米国人の72パーセントが天国を信じていると回答したが、調査では、天国は「良い生活を送ってきた人々が永遠に報われる場所」と定義されている。同様に、特定の宗教的伝統を持たないとした人たちも、37パーセントが天国を信じていると答えている。