時代は少しずつ軍国主義に傾斜してゆき、閉塞感が人々を縛りつけていた。そのような人々の心を解放するために、ペンを取って訴えなくてはならないことを新渡戸は感じていた。
そんな時、彼は「実業之日本社」の顧問として迎えられ『実業之日本』の編集に携わることになったのである。彼はこの紙面に分かりやすい形でキリスト教を紹介した。
彼はまず、人間にとっては個が確立しなくてはならないこと。その個とは、唯一の神との人格的関係において初めて造られるもので、この個の統合が世界に平和をもたらすことを説いた。そして学校の使命は、人格者を育てることが第一であることを強調したのである。
これに対し、学者たちは「お手軽道徳家」と呼びあざけったが、この時親しい友人となっていた官僚後藤新平は新渡戸を励ました。2人は相談し合って民衆を啓蒙するために『拾銭パンフレット』という小冊子を作ることにして、新渡戸がペンを振るった。これは思いのほか大きな反響を呼び、民衆に歓迎された。
1911(明治44)年。日米関係が悪化してくると、政府は両国の学者の交換を行い、親善を図ることにした。日本からは新渡戸が選ばれ、鶴見祐輔を伴って米国各地を回り講演を行った。彼の話は平和と友好への思いが込められていたので聴衆の胸を打ち、話を聞いて以来親日家になった者が多くいたという。
途中ヨーロッパにも足を向けようと考えていた折、明治天皇崩御の報を受け、そのまま帰国して大葬の礼に参列した。ところが新渡戸が外国で好意をもって受け入れられ、「平和を作り出す日本のクリスチャン」と呼ばれていることを知った政府高官や一部の知識人たちはしきりに彼を非難し、「非愛国者」「白人追従者」と呼び罵倒した。
しかし、新渡戸はこうした世の中の動きを静観し、次のような歌を作って自らを慰めていたという。
見る人の こころごころに任せおきて
高嶺に澄める 秋の夜の月
彼は帰国した後も一層ペンを振るい『一人の女』を出版。これは逆境を順境に変えた女性の話で好評だった。また同じ頃、『修養』を「実業之日本社」から出したが、これは実に140版を重ねるベストセラーとなった。
1913(大正2)年。新渡戸は第一高等学校の校長を辞することになった。すると、全校生徒が――以前は排斥運動を行っていた者までが――これを深く悲しんで、彼を追って自宅までついてきた。新渡戸は一人一人の手を握って別れを告げてからこう言った。
「皆さんはこの先、長い人生の中で失敗をしたり、人に裏切られるようなことがあるかもしれません。でも、このことだけは忘れないでください。ただ一人あなたがたを愛し、決して見捨てることのない方がいることを」
1917(大正6)年。新渡戸は、『婦人に勧めて』を出版。この書には彼の深い思いが込められていた。その当時、女性、子ども、障害者、孤児、犯罪少女などは教育の対象に入っていなかった。新渡戸は特に女性に関する問題について深く憂慮していたのである。彼は女性の地位向上のためにペンを取った。
すべての人間、女も子どもも、障害者も神によって創造され、限りなく尊いのです。女は決して子を産む道具ではなく、人格者として、男と同様に育成されるべきです。
当時の社会的事情からすれば、男子が女性の地位向上のために抗議的な発言を公然と行うことは、勇気を要することであった。有識者の中には、彼をあざけり、非難する者たちもいた。しかし、新渡戸夫妻はこうしたことを全く気にかけなかった。
その翌年の1918(大正7)年。新渡戸は東京角筈に創立された東京女子大学の初代学長として迎えられた。学監は女子教育に生涯をささげた安井てつであった。入学式のあいさつで、新渡戸はこのようにあいさつをした。
「女性が偉くなると国が衰えるなどというのは意気地のない男の言うことで、男女を織物にたとえるなら、男子は縦糸、女子は横糸です。縦が弱くても横が弱くても織物は完全に仕上がりません。・・・本校が目指しているのは人格教育です。神との垂直な縦関係から樹立される揺るぎない自己を確立し、社会に貢献できる人を育てることであります」
新渡戸は教育の特質として「リベラル・アーツ」ということを強調したが、これは専門を見つけた教養人・人格者との意である。
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<あとがき>
新渡戸は「実業之日本社」の顧問となり、『実業之日本』の編集に携わっていたときに、その紙面に大衆に分かりやすい形でキリスト教の紹介をしました。彼の心には確固たる信念がありました。それは、「人間にとっては個の確立が大切であること。その個とは唯一の神と人格的関係を持つことによって初めて造られるものであり、この個の総合が世界に平和をもたらすのである」ということでした。
そのために、彼は学校における人格教育を重んじました。こうして、新渡戸は大衆を啓蒙するために親友の官僚後藤新平と共に『拾銭パンフレット』を作り、大いにペンを振るったのでした。
1911年、新渡戸は日米交換教授としてアメリカに招かれましたが、現地では「平和を作り出す日本人クリスチャン」と呼ばれ歓迎されました。帰国してからは教育の対象から外されていた女性の地位向上のために『婦人に勧めて』を出版しました。その翌年、新渡戸は東京女子大学の初代学長に迎えられました。
(※これは史実に基づき、多少のフィクションが加えられた伝記小説です。)
(記事一覧ページの画像:新渡戸記念館提供)
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。