マリヤは庭で採れたローズマリーを瓶に詰めて、新鮮な水を注いでおりました。心はまるで、蛇口から沸き出る新鮮な地下水のように、さわやかでありました。そして、ふと「自分は誰も憎んでいない」ことに気付きました。それを当たり前のようにして、日々を生きておりましたが、それがどれほどの恵みであるか、思い出したのです。
誰かを、何かを憎んでいるとき、それは同時に自分自身を憎んでいることが多く、マリヤも己を呪う気持ちを長く持って生きていました。己を呪う者が、人を祝福することは難しいことです。
自分の命が、神と世界に祝福されている・・・それは誰もが持てる思いではなく、「神様はあなたを愛している」という聖書のメッセージにどれほどの人がはむかうでしょうか。しかし、それこそ、真実でありました。
マリヤが罪と戯れて孤独を紛らわしているときも、人を憎んで、世界に呪いをかけようとしているときも、神様はマリヤを愛し続けていたことを、今ならば分かります。その愛を思うとき、胸は熱くほてります。そして神様の愛は、十字架の上で流された、痛みに燃えたぎる血の熱さのようでした。
「マリヤ、これでどうだ」。玄関から声がします。そのほうへ行くと、父親に頼んでいた立て看板が見事に建っておりました。その立て看板には、「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の花でさえ、神はこのように装ってくださる(聖書より)」という言葉ともに「悩み相談乗ります。どなたでもきてください」と書かれてありました。
「お父さんありがとう。とてもすてきよ」。マリヤは笑顔を見せました。マリヤは父親とともに、小さな働きを始めようと計画していたのです。また、閉ざしていたこの町の人々に向けて、心を開きたい思いがありました。
この小さな田舎町の人たちは、目に見えない大いなる力を感じては、川の神様や石の神様、はたまたお風呂やトイレにも神様がいると、至る所に祭壇を築いておりました。そんな神様の絵も町の至る所に書かれておりましたが、それは神様というよりも、怒り猛った悪魔のように恐ろしい顔をしていることも珍しくはありませんでした。また、地獄の門が開いて亡くなった人たちが出てくるという「地獄の門開きの祭り」を祝う習慣もありました。天使や神様の存在や、天国や地獄を信じながらも、道の分からない人たちの道しるべになりたいと、マリヤは願いだしたのです。
そして、訪れてくれた人のよき友となることが夢でした。マリヤはそんな客人たちのために、ローズマリー水のお土産をせっせと作っていたのです。水に浸したローズマリーは、やがて肌を潤す化粧水になるのです。それを軒先に並べて陽を当てます。太陽の光は、水の中に反射して瓶を虹色に光らせ、力を与えるようでした。
世界は神様の力で満ちていました。今朝のどしゃぶりの通り雨も、土を潤し草花の根に届きます。雲は今も絶えず生まれ、空を流れて神様の力を示します。神様を信じない人であっても感じている、世界の神秘、きらめきは、十字架の血から流れていることを、どれだけの人が知ることができるというのでしょうか。私たちを生み出し、万物を創造された神様は、今も、失われた子羊たちの一人一人を思って待ち焦がれ、共に生きることを願っておられます。マリヤは天の父のそのみこころを思うと、いてもたってもいられなかったのです。そして、お父さんも、より熱心に聖書をマリヤに教え、自らも学び始めました。
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サダ姉にとって、猫楽街での暮らしは、楽なものではありませんでした。サダ姉には、新しい仕事が与えられていたのです。病人の食事を作り、それを口元に運んだり、歩けるようになったなら散歩に付き添ったりもしていたのです。
サダ姉は相変わらず、深いベールをかぶっておりましたが、そのベールが風にはためいたときなどに見えるやけどの痕に、誰もが気付いておりました。そして、誰もがサダ姉をいたわるように、優しかったのです。その優しさが、サダ姉を苦しめました。
今日は患者さんの車いすを引いて、野原に散歩しました。陽は燦燦(さんさん)とサダ姉たちに降り注ぎ、また柔らかな風が光をも揺らしているようでした。世界が透明なガラスの底にあるように、木々や花の色彩がはねて踊るようでした。
患者さんは花を見て、「かわいい花だね」と言いました。サダ姉はその花を摘んで、患者さんに渡してあげました。・・・そんなひとときが今までにあったでしょうか。すべてが新しく、まばゆく感じました。
「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」(イザヤ1:18)・・・神様の言葉が胸に迫りました。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(2コリント5:17)。それでも夜になると、顔を覆って泣きました。自分の生きてきた道を責め立てて、しかし逃げ出すことはもっと悪いことだと分かっていました。
サダ姉は死の間近に迫った人の世話もしました。もうおも湯しか飲むこともできず、やせ衰えた病人の耳元で詩編を読んであげました。また苦しみが癒やされるようにと、温めたオリブ油で、こわばった足や手をもみほぐしてあげました。病院の庭で摘んだラベンダーをお湯で炊いて、病室を花のあまい香りで満たしました。満月が光り輝いて病室に差し込み、み使いの迎えのように病室は銀色の輝きに満ちるなかでのこと、その人は枯れ枝のような手足を震わせながら息を引き取りました。
人の老いも病も、神秘的なものでした。神様は、人に若さや満ち満ちた健康もお与えになりますが、またまるで違う弱さを老いも与えられます。刻まれる深いしわの一つ一つに、与えられる弱さの一つ一つに、厳粛な生の意味を表してくださるようでした。人の生き死の交わるこの病院で、サダ姉は神様のお与えになった人生の意味を教えられるようでした。
今まで自分は、若さや美しさ、健康をどれほど誇ってきたことでしょう。人に与えられたものは、通り一遍の美しさではありません。サダ姉はベールをはずして鏡を見ました。見るも悲しいケロイドだらけの顔を、サダ姉は少しずつ「自分らしい」と思えるようになっていたのです。
サダ姉は聖書を開き、口にしました。「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。・・・主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる』。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」(2コリント12:7〜9)
サダ姉はベールを取った本当の姿で、愛餐会に出席しました。今まで傷を隠して生きていたサダ姉を、痛々しく思っていた兄弟姉妹は、ありのままのサダ姉の姿を見て喜び、いつもどおりに愛深く接してくれました。
この町にはいろいろな人がいることも、サダ姉には見えてきました。傷を負った者、今も苦しみの中にある者、兄弟たちと仲たがいをしている者・・・強い者もおり、また弱い者もおり、病に苦しむ人もおり、健康な者もおり、富める者もおり貧しい者もありました。
それでも、「できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互(たがい)に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである」(エペソ4:2〜4)とあるように、支え合い、補い合って、一つのからだと一つの霊を守るように、この町を建て上げておりました。
サダ姉も、自分を恥じることは愚かなことだと思えるようになっていたのです。たとえ誰より重い重荷を持っていたとしても、それも神様のお与えになった恵みであると思えました。だったら、人生の何を恐れるでしょうか。試練には、乗り越えた先の恵みが用意されており、試練の多さは神に愛されていることを証明するものであるようです。(つづく)
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。