神が愛ならどんな人でも天国に入れてくれたらいいのに・・・。
もし神が愛だけなら、そういうことも言えるでしょう。しかし、神は愛だけではありません。愛であるとともに、あるいはそれ以上に、聖なる神であります。聖ということは義であることにつながり、汚い者、不義なる者、罪や悪と同居できない、そのようなものを受け入れることができないのです。
もしあなたが正しい感覚・倫理観をお持ちなら、不道徳なことをして汚れている人や、悪いことを平気でしている人とつき合いたいと思うでしょうか。そのように、聖なる神(義なる神でもある方)は、罪に汚れ、悔い改めのない人をそのまま天国(神の国)に受け入れたくないのです。
しかし、神は他方で愛の神でもあられますから、御子イエス・キリストを十字架の死に渡すという多大の犠牲を払って、人々が自分の罪の身代わりにその犠牲の死を遂げてくださったと信じ、受け入れるなら、その罪・悪を赦(ゆる)し、神のもとに受け入れることとしてくださったのです。神がこのように大きな犠牲を払ってでも受け入れる道を開いてくださったのですから、人々はそれに感謝してその道を行くべきではないでしょうか。「いや、それもいやだ。そんな神を信じたくない。そんなキリストは自分とは無関係だ」と考える人が「天国にだけは入れてほしい」というのはあまりにも身勝手、虫がよすぎるのではないでしょうか。
神は愛であり、その愛のゆえに講じてくれた“イエス・キリストを信じる道”をぜひ歩んでください。
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