モンゴルの首都ウランバートルに着いたのは2004年6月。大陸の内部は夏と冬の寒暖差が大きいので、真夏になる前にと思ったのだった。
夕方に着いて宿を探したがよく分からず、日本人宿に入ることにした。世界のいろんな人と接したいので、日本人しかいない所はできるだけ使いたくないのだが、この宿には僕の教会の人が馬でモンゴルを旅した時に泊まった宿なので、その裏話も聞けそうだしよいかな。
本当はロシア国境や西の端という辺境の地まで行けたら面白いのだが、それは相当に大変なこと。いつかやってみたいが、仕事を持ちながらではなかなかそこまではできない。とりあえず走るのはここから西へ360キロほど行った昔の首都であるカラコルムと、そこから行けるだけ西へ行きたいと思って走り出した。
幹線道路で行くのは簡単だが、それではつまらないので、トーラ川沿いの草原の道を行くことにした。30数キロで未舗装路となり、そこからあまり遠くない最初の村に着くと店は一軒もなかったが、給水車が来ていて水をもらった。この先はほとんど何もない。1日走って夕方、ゲルと呼ばれる遊牧民の移動住居を見つけて訪ねていった。そこでは夕食を頂き、脇にテントを張らせてもらった。
頂いて感謝なので贅沢は言えないが、食べた肉はたぶんヤギのものだが、あごが疲れるほど非常に硬い。冷蔵庫もない中で長期保存しなければならないので、仕方ないのだろう。日暮れ時にこの一家の親戚の人たちがたくさん僕を見に来た。淡いピンクの光の中、ガイドブックにある片言のモンゴル語を見ながら話をした。
当時は朝青龍の全盛時で、この名前を出すだけでウォーという感じで盛り上がる。ある程度お金持ちの遊牧民はパラボラアンテナを設置して衛星放送を見ることができるそうだ。
翌日昼ごろまでは路面もしまって走りやすかったが、その後砂が深くなり所々押さないといけなくなった。道路といってもわだちがあるだけで、走りやすい場所を選んで車を走らせるためか、わだちはかなり入り乱れている。
砂は深くなり、道路を走るより根がしっかりしている草原の方が走りやすいので、途中道なき草原を走ることにした。方向はゆるい谷底なので谷から外れなければ大丈夫。所々背より高い草を強引に押し倒しながら進まなければいけないが、砂地よりはるかにいい。
昼間はかなり暑く、遊牧民を見つけて教えてもらったモンゴル語で「井戸は何処ですか」と聞いて井戸に連れていってもらう。頭から水をかぶって身体を冷やす。少しホッとする時間だ。
しかしそれも一瞬のこと。暑さに加えて路面というか地面はさらに砂地か背の高い草という状況で、奮闘を続けひどく疲れた。夕方ゲルを見つけてたどり着いた所で、くたくたで倒れこんでしまい、1時間くらい起き上がることができなかった。この夜はゲルの中に泊めてもらった。
翌日も状況は変わらない。お昼ごろやっと次の町の建物が見えた。ほっとしたが見えてからが長く、なかなか近づいていかない。それから2時間くらい経ったろうか、やっと着いた小さな町にはちゃんとお店があり、食べ物を買った。
日が傾くにつれて向かい風がひどくなったが、幸い町から先は路面が良くなった。地図を見ると、その町からあまり遠くない所で幹線道路に合流する。次のカーブの先で合流するかなと思いながら進むが、いつまで経っても道に出ない。結局日暮れとなり、またゲルの脇に泊めてもらうことにした。
翌朝別れ際に写真を撮りたいというと、ちょっと待てと言って隣に止めてあるジープのほろを外して、この前で撮ってくれと言う。なるほど車を持っているというのはステータスなのだ。
出発するとすぐ舗装された幹線道路に出た。アスファルト! なんて素晴らしいのだ。穴ぼこだらけの道だが、どれだけありがたいかと思った。
しかし、しばらく進むとそのアスファルトが工事のため十数キロも全面掘り起こされ、また土の上を走らなければならなくなった。せめて少しずつ工事してくれればよいのに。
幹線道路は数十キロ行くと一応お店があって助かる。泊まりは相変わらずゲルの脇だ。
翌日は強い追い風でビュンビュン気持ちよく走る。地図によればこのまま走り続ければカラコルムにお昼ごろ着くと思って、お昼に着いたお店で聞くと、90キロもずれた全く違う所にいると教えられた。未舗装路を行くか今の道を50キロほど戻って大回りして行くか。未舗装路はこりごりだが、強烈な向かい風の中を50キロも戻るのも気が遠くなる。
思案していると100ドルで分岐まで送ってやると言われた。それは高いと言ったが、時間はお金に変えられない。分岐に連れていってもらうと、そこには倒れた道標があって曲がらなければいけないのが分からなかったのだと知った。
帰国してから調べると、使っていたモンゴルで買った地図はとんでもなくいい加減でデタラメなものだった。地図というのは正確なものだと日本で育った身には感じるのだが、その常識は通用しない。途上国の地図にはいつも悩まされるが、しかしここまでいい加減だとは思わなかった。
さらには、その地図すら見たこともなく、隣町より先に入ったことがないような人も世界にはたくさんいるのだというのも感じる。なお、今はGPSの小さな機械が安く手に入り、当時そういうものがあればよかったなと思ったものだ。
さて一応の目的地である旧都カラコルムは半日もあれば見て巡れるくらいの大きさしかない。その先は? あまり遠くまで行くと帰りは交通機関を使わないといけないが、ここまでは幹線道路で一応バスも走っているが、この先はジープのような便しかなく、見ていると満員にならないと出発しないので自転車を積んで帰るのは無理そうだ。帰りは自転車で戻れる所までしか行かれない。
少し走ってみると、路面はあの砂地を思い起こす未舗装路となり、さらに風も強烈だ。先に進むのはあきらめてウランバートルへ戻ることにした。
帰りは全線幹線道路を走る。来た時にあった長い工事区間が懸念されたが、掘り起こしたアスファルトはどけられていて、路肩に自転車一台が走れるほどの幅があった。
泊まりは道沿いの食堂の脇にテントを張らせてもらい、また朝青龍で盛り上がった。
ウランバートルへ戻ってくると、行きはすぐ川沿いの脇道へと行ったのでよかったが、道路は夕方のラッシュとも重なり、ひどい混雑だ。草原の何もない所と違い、ここはデパートに行けば何でもあるし、別世界だ。
早く戻ってきたので、前述した教会の青年が馬で旅行した東側のテレルジという緑豊かな谷間のある国立公園へと行ってみて、モンゴルの旅を終えた。
走行は1千キロだったが、この広い大地をその程度走ったくらいでは一部をかじったくらいに過ぎない。それでも人間の営みとは比べ物にならない自然の大きさを感じる。
自然豊かなこの大地に日本の核廃棄物処理施設を作る構想があるが、厄介物を貧しい外国に押し付けるだけではないのか。関係ない外国のことではなくて、それは私たちの生き方の問題でもあると思う。
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