4大陸目は1992年夏に欧州をギリシャのアテネからスコットランドへ走った。それは新婚9カ月目のことで、出発の2カ月後に妻とロンドンで待ち合わせたので、それまでにイギリスへ着かなければいけない。
ギリシャでは南部のアテネやコリント、北部のベレヤやテサロニケといった聖書に出て来る場所を尋ねた。途中にはメテオラという岩山の上にある世界遺産の修道院群がある。炎天下に山を登って見に行ったが、よくぞこんな所に建てたものだと思ったものだ。
この当時ユーゴスラビアは内戦中で通過出来なかったため、テサロニケではアドリア海を越えてイタリアへというコースを薦められたが、東欧を見てみたいという当初の思い通りユーゴスラビアを迂回しその東側の国々を通って行くこととした。
ブルガリアに入ると有事に備えてのためと思われる異常に立派な道路があるのに車は殆どいない。驚いたのは、もらった地図に国中のガソリンスタンドが記入してあるのだが、これしかないのかと言うくらい少ない。車はスタンドごとに長蛇の列をなしている。また首都ソフィアではパン屋にすごい行列ができている。商店に行っても食料はショーケースになく、どうしたものかと思ったが、レストランではとても安く食べられてホッとした。しかしそれは日本の物価と比べてであり、住民にとってはとても高いものであるが。当時は1989年の東欧革命の直後で、流通システムなどがしっかりしていなかったのだろう。
ここではリラの僧院という山の中の修道院が印象的だ。しかし先のメテオラといい、俗世から離れて建てたはずの修道院に観光客が押し寄せるのは、何か皮肉のようだ。
田舎では、ロバが荷を運んでいてタイムスリップしたような感があったが、ルーマニアに入るとさらに時代をさかのぼったように、馬車やロバが活躍している。村を通過する度に子どもはハイタッチを、大人はタバコをねだる。チョコレートもねだられた。
この国でもやはり店には商品が無く、そんなときには自分の家から食料を持ってきてくれたり、泊ったキャンプ場の主人は、隣町のレストランまで自分は食べないのにバスに乗って案内してくれたりと、人がとても親切で感激した。大きな街では東洋から来た自転車旅行者は好奇の的のよう。どういうわけかベトナム人かとよく訊かれた。
ハンガリーに入ると、時代は少し戻ったようだ。素朴さもなくなったか泥棒にもあった。
しばらくドナウ川に沿って上流へと向かう。首都のブタペストはドナウの真珠と呼ばれるだけあり、夕景は特に美しい。
西側との境であるオーストリア国境では、長大な車列に出会った。たまには車を抜かして行くのも気持ちがよい。タイムスリップから戻ったような西側に入ると、物価も東欧とは比べ物にならない高さに戻り、キャンプと自炊が主体となる。景色はここからアルプスに入ってとても綺麗な所が続く。
スイスに入る手前で、金属疲労からペダルの取り付くクランクが折れてしまった。幸いだったのは西欧に入った所だったこと。東欧だったらサイクリング車の部品など手に入らなかっただろう。自転車屋さんには庭にテントを張って泊めさせてもらった。この方はクリスチャンで、今でも連絡を取り合っている。
スイスでは、子どもの時に見たアニメから抱いた憧れのアルプスを走っているという嬉しさがあった。いくつもの峠を越え、時には登山列車に乗り、トレッキングもして、山々の景色を味わった。
あちこち寄り道したスイスの後、待ち合わせのロンドンに向けフランスでは毎日走り詰め、1日平均170キロ走ってパリに着き、1日だけ観光してイギリスへ。
5日間ほど妻と一緒に旅行に来た妹と行動を共にし、再び一人になって、まずウェールズへ向かった。イギリスの田舎はうねる丘陵地に小道が走り、所々古城や廃墟となった修道院などが景色に溶け込んで魅力的であり、走っていてとても気持ちがよい。リバプールのビートルズ縁の地を巡り、嵐が丘の舞台ヒースの生えるハワースの丘を越え、スコットランドに入っていく。エジンバラを過ぎてさらに北へと行くと、雨が多くなった。雨の中では手袋をしても手がかじかむくらい寒い。そんな寒々と荒涼とした土地では、新婚のせいもあり、珍しく早く家に帰りたくなった。そういう時に出会った森は、とてもホッとする存在だった。
最後に大西洋に浮かぶスカイ島へ渡り、古城を眼下に見ながらの最高に景色の良い所で野宿をし、ネス湖の北まで走って旅を終えた。
エーゲ海から北海への旅の走行は6600キロ。その間、人も自然も徐々に様々に変わって行った。自転車旅はそういったものを常に肌で感じられるのが魅力だと思う。
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