3回のオセアニア走行の後、目標を5大陸の走破とし、次に北米アラスカから五大湖を目指すことにした。
89年7月末にアンカレッジ着。到着してまず驚いたのは夜になっても暗くならないこと。知識として知ってはいたが、これが白夜なのだなと思った。暗くなっても泊る所が見つからないと焦らなくてよいのは助かる。
北上してアラスカ中央部のフェアバンクスを目指す。泊まりは大体キャンプ場である。グリズリー対策に食料はコンテナに入れるか、テントから離れた木につるさないといけない。
土曜の夕方小さな村に着いた。村の入口に飛行機に注意の標識があった。道路が滑走路にもなっているようだ。教会を見つけて戸をたたくと歓迎してくれた。ちょっと驚いたのは庭に離れのトイレがあること。夏はいいけれど冬は大変だろうと思った。翌日は誰も来なくて牧師夫婦と3人で礼拝した。
そこからすぐの所に北米最高峰のマッキンリー山を抱くデナリ国立公園がある。公園の中は自転車では走れないが、ここの自然は素晴らしい。ムースやグリズリー、オオカミも目にできる雄大な風景がある。
フェアバンクスでも教会に泊めてもらった。フロントガラスは割れ、スピードメーターは動かないバンで町を案内してくれた。
またネイティブアメリカンの村にも立ち寄って2日間暮らしを見せてもらった。土曜日、泊めてもらった家の目の前に教会があったので、翌日は礼拝にと思ったのだが、その日牧師は来なかった。来たら皆で礼拝に行くそうで、のんきだなと思ったものだ。
アラスカでは高速道路のような道はカナダへ入ると未舗装の山道になった。そんな場所の湖から遊覧飛行ができる。
その飛行機から見た景色は期待以上のものだった。いく筋もの氷河が見え、さらに奥へ行くと見渡す限りの氷原が続いている。一緒に乗っていた人はもう一度と言って、2度目のフライトに乗ったくらいだ。
計画ではロッキー山脈の中を通る道を行くつもりだったが、出会ったサイクリストにフィヨルドの海をフェリーで渡るコースを勧められて海に出た。そこではわずかだがオーロラや、鯨の群れを見ることができた。船を降りてからはロッキー山脈へ向かう。その間にも何軒もの教会にお世話になった。ロッキー山脈ではジャスパーやバンフといった有名な観光地もあるが、ちょっと脇に入った所に観光客があまりいないが素晴らしい景色の場所がいくつもある。この年はカナディアンロッキーが天候不順で、イーデスキャベルという山の麓では晴れるのを2日待ったが、湖に鏡のように映る朝日を浴びる山肌は待った甲斐があった。
カルガリーの町では途中で出会ったサイクリストの両親の家に泊まり、前年オーストラリアで数日間一緒に走ったサイクリストのカップルにも再会した。泊めてもらったお礼にアジアンフード店で買った食材で料理をした。
9月に米国に入ると急激に寒くなってきた。僕が南下するスピードより冬が南下する方が速いようだ。ある日朝テントから出ると雪で真っ白になっていた。このまま東へ行くとハドソン湾から遮るもののない寒波でどんどん寒くなる。計画変更し、行ける所まで南下することにした。
泊めてもらった教会で上着や手袋などを頂き、イエローストーンへ。夜はボトルの水が凍るほどの寒さであったが、ここの自然は世界最初の国立公園となっただけある。間欠泉がいくつもあるが、夕刻星空に向かって吹き上がるもの、巨大だがいつ吹き上がるか分からないので何時間か待ったものが印象的だった。
さらに南下する中で、映画シェーンの舞台のグランドティトン、恐竜の発掘地ダイナソアモニュメント、岩のアーチが林立するアーチーズ国立公園、崖にへばりつくように住居跡が残るメサベルデ、猿の惑星のロケ地・パウエル湖、駅馬車の舞台のモニュメントバレー、そしてグランドキャニオンと、素晴らしい場所がいくつも続く。アメリカには何と豊かさな自然があるのだろうと思った。
その後フラッグスタッフからハイウェイ40を東へ。アルバカーキーの町では自転車でヨーロッパからインドへ走ったことがあるというクリスチャンの方の家に泊めてもらい、たまたま行われていた400機もの気球が飛ぶバルーンフェスティバルに連れて行ってもらうなど、良い交わりを持てたことも感謝だ。最後はサンタフェまで走って旅を終えた。走行は7000キロとなった。
当初の横断計画とは違ってしまったが、豊かな自然を味わい、多くの兄弟姉妹と交わりのできた北米は素晴らしい思い出となった。
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