「使徒の働き」にある聖霊の御業は、エルサレムから始まり地の果てへと今日もなお広がり続けています。そして、ユダヤ人だけでなく異邦人へとすべての人々に福音が宣(の)べ伝えられ、聖霊の恵みと力が注がれ続けています。特に1517年の宗教改革以降の歴史を振り返れば、聖霊に動かされた人たちを通してリバイバルがあらゆる国々や地域で起こり、そのことを通してさらに宣教が力強く前進しています。そして、その背後には多くの人々の祈りがあったことは言うまでもありません。2018年のペンテコステの日、パウロの祈りに目を留め、あらためて私たちにも与えられているペンテコステの“火”を再確認したいと思います。
あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のため、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。(エペソ6:18)
1. 祈りの火を燃え上がらせる
キリストの昇天後、天の父の約束を待ち望んでいた弟子たちは、何もせずに待っていたのではありません。祈り求めていたのです。そして、「五旬節の日になって(直訳:が満ちて)、みなが一つ所に集まっていた」(使徒2:1)ところに聖霊が臨まれました。それまでも、弟子たちは主から祈りを学び、祈りの生活をしていました。しかし、この時から弟子たちの祈りは変わりました。「聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」(使徒2:4)からです。そして、祈りを通してしるしと不思議の伴う神の業があらわされました。これは誰も考えもしなかったことでした。
エペソ人への手紙は、パウロの祈りの生活からあふれ出る祈りの言葉と心を知ることができます。その一つがこの箇所です。新共同訳では「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」。つまり、絶えず祈り続けることが私たちに必要であることを教えています。祈りの手を下ろさないように、ペンテコステを迎えたこの時、私たちが以前にも増して主を慕い求めて祈る者となりたいと願います。いろいろな理由で祈れないことをよしとせず、根気よく祈る。どんな時にも御霊に助けられて、御霊に導かれて祈っていきましょう!
2. 心を一つにして祈る
聖書を通して初代教会の人々が「心を一つにして」集まる姿を多く見ることができます。弟子たちは心を一つにして集まり祈りをささげていました。私たちにはさまざまな祈りの課題があります。家庭や学校、仕事や将来、そして国や世界情勢のことなど。私自身も自分のこと、家庭のこと、教会のこと、さまざまなことで祈ることがたくさんあります。しかし、私たちは自分に関わることだけではなく、互いのために祈ることが大切であることを知る必要があります。ペンテコステの出来事は各個人が聖霊の恵みを受けたという側面がありますが、同時にキリストの弟子たちの群れに注がれた聖霊の恵みと力の現われです。教会はかしらなるキリストによって共に建て上げられるものであり、共に心と思いを合わせて祈り合うところに神の栄光が現わされていきました。
そして、ますます世の終わりに向かって世の中は悪い時代になっていく故に、互いのために祈る必要があります。主ご自身が「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります」、そして「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(マタイ24:7、12)と言われました。祈ることは悪魔の策略に対抗することであり、主の守りと助けを頂くことでもあります。目を覚まして、正しく物事を知る力、見抜く力を頂き、互いのためにとりなす必要があります。各々の自己実現のためではなく、主の御心が天で行われているようにこの地にもなされるように心を合わせるのです。そうして互いにへりくだり、主のみを恐れるとき、心を一つにすることができます。
3. 宣教のために祈る
パウロは続けて19、20節で「私のためにも祈ってください」と祈りの要請をしています。「すべての聖徒」の中に自分も含まれているのです。ローマにおいて牢獄(ろうごく)につながれていたときのパウロは、諸教会の仲間たちのためにとりなし、祈り続けていました。そして、さらに福音を伝えることができるようにと、手紙を通して祈りの要請をしているのです。福音宣教のためには祈りの支援が必要なのです。パウロの願いは「何とかして、幾人かでも救う」(1コリント9:22)ことでした。その情熱は私たちの救い主イエス・キリストからのものです。主は一人として滅びることを望んでおられないからです。祈りとみことばを通して私たちは父なる神様の心を知るようになります。今の日本や私たちの置かれた地域に目を向け、主ご自身がこの日本を愛し、私たちの隣人を私たちと同じように愛しておられることを覚えて、私たちも福音を伝える者として立ち上がらせていただきましょう! そのために、これらの“火”を重ねて祈りの“炎”を再び燃やす時とさせていただきましょう!
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