カンデラリア・カマルゴは聖書翻訳者と呼ぶにはちょっとふさわしくないかもしれません。ただ、その地方に数多くいた典型的なクリスチャンの1人で、自分の母語で書かれた聖書が欲しいという強い願いを持っていました。
カンデラリアはフニン谷出身のケチュア人でした。フニン谷は、新世界をスペインの支配から解放するために、解放軍が天下分け目の戦いをした場所でした。しかし、この谷に住む人たちのほとんどは今も無知の奴隷になっています。
子どもの時、彼女はコルポーター(聖書販売人)からイエス・キリストのことを聞きました。コルポーターは荒涼とした村までやってきて、子どもも含め、あらゆる人に与えられる神の愛を伝えたのでした。彼女の父は狂信的な人でしたので、ことあるごとに情け容赦なく彼女のすることに反対したのでした。しかし、親の虐待と脅しにもめげず、バプテスマを受け、地方教会のリーダーの1人となりました。
カンデラリアは四角ばってがっちりした顔つきで、造作がはっきりしています。硬い黒髪は後ろでしっかり結び、そのために彫りの深さが、フニン高原を取り巻くのこぎりのような山々のように目立ち、いてつく山道の凍結したツンドラのようにがっしりしています。しかし、彼女の喜んだときの笑みと、温かく思いやりのある目を見ていると、彼女の心が憐れみに満ちており、その魂が自己中心でないことがよく分かります。
ほんのちょっとの間、村の教会には牧師がいましたが、奥さんが亡くなり、子どもが病気になると村を去ってしまいました。1人取り残されてしまったカンデラリアは、1人で農場や鉱山のテント小屋を巡り、樹木限界線を越えるため、木の生えていない山に囲まれた谷間のあちこちに散らばっている会衆を訪れ、彼らの霊的な必要を満たす牧会の仕事に当たったのです。
ある時は、1人で27もの教会を回って説教しなければなりませんでした。そのうち10教会は彼女が組織した教会でした。この人たちの所に行くのに5千メートル級の山道を裸足で歩いて、吹雪の中、また凍りつくような雨の中を勇敢に出掛け、キリストのメッセージを伝えたのです。キリストが自分のために、またみんなのためにどんなに素晴らしいことをしてくださる神様であるかということを告げました。
彼女が受けた教育といえば、年1回の聖書修養会と、その地方には滅多に来ない宣教師や働き人から教えを聞くことくらいでした。しかし、彼女の心はスペイン語で語られるメッセージでは満足できませんでした。フニンのケチュア人の多くはスペイン語が分かりませんでしたし、彼らの使うケチュア方言は他の方言とはかなり違っていて、ケチュア語の他の方言に翻訳されている聖書は使いものになりませんでした。
カンデラリアは、まずスペイン語で聖書を読んで聞かせ、それからケチュア語のみんなの使っている方言で言い直すというやり方で説教したり教えたりしていました。しかし、これがどんなに不十分であるかはよく分かっていました。そんなわけで、できるだけスペイン語のアルファベットをもとにして、足りない音は特別の符号や文字の組み合わせを使って書くことを教えられ、自分のケチュア方言が書けるようになったときは天にも昇る喜びでした。
彼女よりもスペイン語をよく知っている兄弟たちの助けを得て、良き訪れをフニン方言に直し始めました。努力だけは人一倍しましたが、聖書翻訳のための教育を受けていなかった彼女には、指導が必要でした。しかし、なんとかこれを続け、病気や失望に悩まされながらもついに、雲の吹き飛ぶフニン平原に住むクリスチャンは母語で神の御言葉を持つことができるようになったのです。
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真の聖書翻訳者の仕事は、まず他者と一心同体となって行動を共にする連帯観を持つことです。クリスチャンの奉仕者として、まずキリストと一体になる必要があります。また宣教師として人々と心を1つにして行動しなければなりません。
スウェーデンから南アフリカとモザンビークのツワ族に遣わされたジェイ・エイ・ペルソン師は、自分が仕事をしている人たちと本当に行動を共にして働きましたので、休暇の前に師のために開かれた送別晩餐会の席で、アフリカで白人の受けることのできる最高の賛辞を与えられました。1人のツワ人の男性が立ち上がって「ペルソン先生は白い肌を持っておられるかもしれませんが、その心はわれわれとまったく同じ黒色です」とあいさつしたのです。翻訳者は、もしある人々のために翻訳をしたいと願うのであれば、その人々の1人にならなければなりません。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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