ダニエル・リッチー牧師は、生まれつき両腕のない障がいを持って生まれてきた。そのため「(リッチーさんが生まれてきたのは)絶望的なミス」「嘆かわしいほどの肢体不自由」「満足な人生は送れない」などと言われながら育ったという。そんなリッチーさんだが、最近、自らの体験を基にした1冊の本を出版した。
リッチーさんの出産時、医師は「この子を逝かせてあげてはいかがですか」とさえ、両親に勧めたという。しかし、幸いなことに両親はリッチーさんを生かすことを選んでくれた。成長してからも、いじめられたり、あざけられたり、仲間外れにされたりしたが、新著『My Affliction for His Glory(神の栄光のための苦難)』(英語)でリッチーさんは、神はそれぞれの人生に素晴らしい計画を持っていることを伝える。
「僕には何の価値もない。人生を共に歩む人もいない。偉業を成し遂げることもない」。今は米ノースカロライナ州ハンターズビルで牧師をしているが、イエスに出会う前は自分についてそう考えていた。「期待されたことなど一度もありません。両腕がない状態で生まれたために、最初の数年間は私にできないことの話ばかりを聞かされました」
「逆境は根深い疑いをもたらす恐れがあります」とリッチーさんは言う。「自分を他の人と比較すると(特に『何でもできる』かのように見えたり、そういうふりをしたりする人と比較すると)、『自分には何か問題があるのだろうか』と疑問に思うことがあります。そして、自分の悩みや障がいが乗り越えられないもののように見えることがよくあるのです。人生の目的や愛、信仰などは言うまでもなく、日常的な事柄に取り組むことが不可能に見えてしまうのです」
しかし今、リッチーさんの人生は大いに充実している。牧師であり、作家であり、ひっぱりだこの講演者でもあり、夫であり父親でもある。リッチーさんは、子どもたちと遊んだり、読書したり、コーヒーやフットボール観戦、アウトドアなどを楽しんでいる。略歴には「彼は逆転劇の笑みを浮かべているように見える」ともつづられている。
リッチーさんの新著には、人々からあざけられてきたにもかかわらず、リッチーさんが笑い返せるようになったきっかけが書かれている。著書紹介には次のようにある。
「自分のアイデンティティーや価値、人生の目的を見いだした結果、人との比較や人からの否定的評価から解放された。彼の物語がもたらす恵みと創造性が、人生の困難に立ち向かう励ましとなることは間違いない」
リッチーさんが、イエス・キリストを信じたのは15歳の時。宣教団体「デザイアリング・ゴッド」のウェブサイトに掲載した証し(英語)では、「神は、このような障がいがあるにもかかわらず、私がどれほど尊い存在かを少しずつ教えてくださいました」と述べ、十代の頃から今に至るまで、自身の人生で現された神の栄光を述べている。
新著やリッチーさんに関する詳細は公式サイト(英語)を。