一行はやっとの思いで坂本に着いた。隆佐の親戚の家はすぐに探し出せたが、家人に紹介状を見せると、返事は冷たいものであった。「そういうことなら、じかに延暦寺に行かれて座主と対面なさってください。しかしながら、てまえどもの名も小西隆佐の名も使わないでいただきたい」。こうは言ったものの、彼らは丁寧に延暦寺までの道筋を教えてくれたのだった。
一行は感謝しつつ、その道をたどった。飢えと寒さ、そして極度の疲労にさいなまれつつ、彼らは這うように延暦寺の石段を登り、本堂にたどり着いた。座主との会見を申し入れると、門番ににべもなく断られてしまった。
「ここは伝統ある仏教の総本山やから、素性の知れん者はお断りや」。3人は仕方なく、元来た道を引き返した。――と、そのとき、誰かが後ろから追ってきた。「もし、旅の方、お待ちなさい」。振り返ってみると、痩せて頭のとがった僧が手招きしている。
「せっかくいらしったのに、このまま帰られるのはあまりにお気の毒です。それで、この大善坊でよろしければお話を伺いますが」。そして、3人を本堂に導くと、茶を出した。
「信じていなさる宗教がどのようなものか分かりませんが、このような島国に来られて布教なさるお志、ありがたいことと存じます」。大善坊という僧は手を合わせた。それからザヴィエルと彼は一対一でいろいろと語り合った。愛や慈悲、悟りや修業、そして生まれ変わりのこと等々。
「最後に、前世と来世について伺います。仏教では輪廻(りんね)と申しますが、これは前世の行いと関係があります。キリスト教ではどのように教えているのでしょうか」。「キリスト教では初めと終わりがあると教えます。人間の歴史は終末に向かって歩んでいくのです。私たちは初めから目的を持って造られたのですから、神に似る者とされ、神に近づいていくのです」
「いや大変に良いお話をありがとうございました。教えは違っても、私どもはキリシタンの方々を長く尊敬申し上げるでしょう」。大善坊は裏木戸を開けて恭しく一行を送り出すと合掌し、いつまでも見送っていた。
京の都が荒れ果てているとはいえ、御所はさすがに立派なたたずまいを見せていた。彼らは東側の回廊に面した生垣の間からそっと中をのぞいた。そのとき、どこからか笛の音が聞こえてきた。その調べは妙にもの悲しく没落しつつある貴族の悲しさを物語っていた。ザヴィエルは、思わず声を上げて呼びかけた。
「私たちは遠い国から福音を携えて来ました。この国の方々に喜びと希望をお分けしたいからです。重荷を負って苦労している人はイエス様の所にいらっしゃい。そうすれば平安が与えられます」
「何者じゃ、引っ捕らえい!」。その屋敷の主らしい者が大声で叫んだ。すると、中から人が出て来て、3人はあっという間に後ろ手に縛り上げられた。
「ここへ何をしに参った」。警護の男がザヴィエルにやりを向けて言った。「天皇にお会いして、キリストの教えを伝えたいのです」。「天皇は今病床に伏しておられる。物乞いふぜいで生意気なやつだ」
そして、2、3人でもって殴る蹴るの暴行を加えた末、ずるずるとその体を引きずって行って門から外に蹴り出し、音を立てて門を閉めた。3人は互いに支え合うようにして元来た道を引き返し、大きな寺院まで来ると、そのまま倒れ、何も分からなくなってしまった。
どのくらいたったことだろう。ザヴィエルは何か柔らかなものが押し付けられるのを感じて目を開けた。目の前に汚らしい、すすけた顔をした5歳くらいの男の子が立っている。それから、その子どもは両手を差し出した。そこには焦げた握り飯があった。
「これあげる。腹減って死にそうなんやろ」。「坊や、ありがとう」。ザヴィエルはその握り飯を4つに割って皆で食べた。
「いい子だね。大切なお弁当をくれたからおじさんも一番大切なものをあげよう」。ザヴィエルは大きな十字架を首から外し、子どもの首にかけてやった。
「坊やに会えてよかった。名前を教えてくれる?」。「佐野二郎丸や」。「じゃ、お別れだね。さようなら」。3人は京都を後にすることになった。この頃、必死で馬を飛ばしてくる武士がいた。それは、小西隆佐その人であった。
*
<あとがき>
小西隆佐の親戚の人に道を教えられ、ザヴィエルの一行はいよいよ延暦寺を訪れました。しかし、ここにも壁が立ちふさがっていました。座主との会見を申し入れても、にべもなく断られてしまったのです。
落胆し、立ち去ろうとしたときに、思いがけない人物が彼らを引き留めました。大善坊という修業僧がザヴィエルたちを気の毒に思い、心からもてなしてくれたのです。彼はザヴィエルと語り合ううちに、はからずもキリスト教の広さ、高さ、深さを知る幸いを得ました。
この日、福音を聞くことができたのは、御所に住まう天皇でもなく最高の宗教的権威を持つ延暦寺の座主でもありませんでした。それは、つつましく修業に励み、寺の雑役をして仕える1人の僧だったのです。
この後、さらに神の御業は一行の上に注がれます。京の都を後にした彼らは、1人の少年、佐野二郎丸と出会い、十字架を与えるのですが、彼は後になって佐野トマスと名乗りキリシタンとなったのでした。
◇
栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。