先日、どこかの動物園のシロクマの親子の動画を見ました。飼育員が持ち込んでくれた雪の中を喜んで遊んでいた子グマが、誤って水の中に落ちました。岩に手をかけてはい上がろうとするのですが、なかなか水から上がることができません。
母グマは急いで助けるために水の中に飛び込むのですが、子グマのすぐ横にいても見守るばかりで、手を貸そうとはしません。水に落ちても自分の力ではい上がることができるようになるようにという母グマの深い配慮でしょうか、自分ではい上がれるまでそばで見守っているばかりなのです。もがきながらも子グマはやっとのことで自分の力ではい上がることができました。すると母グマも安心して水から上がってきたのです。
母グマの中にあるこのような知恵は、神様が与えてくださったものなのでしょう。子グマが自分で生きる自信を持つことができるように、見守っているが、手を出さず、なんとか自分で考えて、自分でやってみて、自分にもできるんだ、という自信を身につけてあげることが、この子グマが生きていく上で非常に大切なことだということを、母グマは知っているのですね。
かつてアメリカに留学していた頃、短い期間でしたが身体障害者の施設で働いていたことがあります。車いすで移動している人がほとんどでした。私はその方たちの介助ということで雇われていましたから、天気の良い日には車いすを押して近くの公園に行ったり、室内にいる時はこまごましたお世話をしておりました。
ある時、私が1人の障害者の用事を頼まれたので、その希望に応えて何かを取ってあげておりましたら、上司に注意されました。なんでも頼まれたからといってしてあげていたら、自分でしなくなるから良くない、と言うのでした。私は親切心でできるだけこの方たちのお役に立てればと思ってどんなことでもしてあげていたのですが、考えてしなくてはいけないことを諭されました。私の介助がその人の自立を妨げていることもあるのだということを教えられたのでした。
何が本当にその人のためになるか、ということを考えつつ、時と場合によってはあえて手助けしないことも重要な助けなのだということを教えられた、忘れがたい教訓でした。
◇