日野原重明(ひのはら・しげあき)さんの最後の著書『生きていくあなたへ―105歳 どうしても遺したかった言葉』(幻冬舎)の出版記念パーティー(主催:ヴォイス・ファクトリイ)が10日、新国立劇場オペラパレス内ホワイエで開かれた。
日野原さんは今年7月18日に105歳で召天したが、同書はその2カ月後に刊行され、発売2週間で12万部を突破し、現在、30万部に達している。自らの死に直面していた日野原さんが、昨年末から亡くなる直前まで、時にはベッドに横たわりながら、最後の力を振り絞って20時間ものインタビューに答えた渾身(こんしん)の1冊だ。
日野原さんは1911年、メソジスト教会の牧師、日野原善輔の次男(6人きょうだい)として山口市で生まれた。7歳の時、父親の赴任先である日本メソジスト神戸中央教会(現・日本基督教団神戸栄光教会)で洗礼を受ける。幼い頃から医学の道を志し、37年に京都帝国大学医学部を卒業後、41年に聖路加国際病院に内科医として赴任した。92年、同病院院長に就任し、その後、名誉院長や同大名誉理事長を歴任。
また日野原さんは、日本で最初に人間ドックを開設し、早くから予防医学の重要性を説くとともに、終末期医療の普及にも尽力し、「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたことでも知られている。2001年に出版した著書『生きたか上手』(ユーリーグ)は120万部以上を売り上げ、高齢者に大きな希望を与えた。同書は、今人生の途上にあるすべての人に向けて「キープ・オン・ゴーイング(前に進み続けよう)」と呼び掛ける。
本書は次のような5章立てで構成されている。
第1章 死は命の終わりではない
第2章 愛すること
第3章 ゆるすことは難しい
第4章 大切なことはすぐにはわからない
第5章 未知なる自分との出会い
どの章も、聖書の言葉から、自らの体験に基づいた生きた言葉がつづられ、それぞれの章末には、講演の準備や、患者さんに渡す言葉として生前にノートやファイルに書きためられていた言葉が掲載されている。そして巻末には、日野原さんが取材中、最後に語ったメッセージがそのままの言葉で収録されている。
同書を企画構成し、聞き書きしたヴォイス・ファクトリイ代表取締役の輪嶋東太郎さんによると、このインタビューの間に日野原さんは自宅で転倒して肋骨(ろっこつ)にヒビが入り、話すのもままならない状態だったという。同書は、いわば「命がけ」で臨んだインタビューといえる。
「悩みの中にある人が決して死を選んだりしないように、『ありのままでいいんだ』ということをこの本を通して知ってほしい。多くの人とこの本を分かち合い、つながっていければと願っています。また、知らない人のために祈ることができるのがクリスチャンの特権であることを忘れないでほしい」と輪嶋さん。
日野原さんは最後のメッセージの中で「感謝が私のシンボル」と述べ、いつでも感謝の杖(つえ)を持ち、喜びの心を持って歩いていたことを明かした。晩年、重い病にかかったことも、それによって感謝ということを再認識するきっかけとなり、それは喜びであり、リバイバルを起こせる自己発見の時だったという。105歳になってもなお新しい自分と出会うことを楽しみとしていたという日野原さんからは、生きる喜びがあふれている。
長生きするということは、わからない自分と出会う時間がもらえるということです。完全にわかりきれるとは思わないけれど、自分の姿をどんどん知っていく喜びは年をとったことでより実感するようになりました。(26ページ)
同書は励ましの書であると同時に、日野原さんの信仰の書でもある。日野原さんを語る時に「奇跡」という言葉が付されることが多いが、「奇跡」としか言いようのない体験をしている人には「まことの信仰」があると日野原さんは言う。さらに、人生に奇跡を起こす方法として、まことの信仰を持って奇跡を起こした人(=イエス・キリスト)と同化することを挙げ、「僕の身の上に奇跡が起こったとすれば、その理由はただ一つ、イエスと一体化したことだと思います」(132ページ)と明言する。
自分がさらに本物となるために、
手を開かれたイエス・キリストの姿を
静かに思い描いているのです。
なんとこれは感謝すべきであろうか、
これ以上、感謝することはない・・・(205~206ページ)
「先生の次の目標は何ですか」と聞かれた日野原さんは、「今日も生きさせていただいている。そう実感する日々の中で、・・・真っ先に考えるのは、頂いた命という残り少ない時間をめいいっぱい使って、人のために捧(ささ)げるということです」と答える(170ページ)。日野原さんにとって「人に貢献する」ことこそ人生であり、喜びはそこから来ていたことに改めて気付かされる。
同書の中でも繰り返される「キープ・オン・ゴーイング」。日野原さんはそこに、「感謝に満ちた気持ちで」「みんな心を合わせて」「ありのままで」という言葉を加える。どんな苦しみに出会っても感謝をもって喜びに変えた日野原さんの生き方は、これからも多くの人たちに勇気を与えるだろう。
「これまでたくさんの本を書いてきたけれども、一度も出版パーティーをしたことがないから、この本ができた時にはぜひ行ってほしい。ただし、その時に私はそこにいないかもしれないけれど・・・」
日野原さんが語ったこの言葉によって実現した最初で最後の出版記念パーティー。日野原さんの生き方に共鳴し、今なおその人柄を慕う多くの人がお祝いに駆け付けた。
日野原さんは、ミュージカル「葉っぱのフレディ」を手がけるほどの音楽好き。この日も自らコンサートのプロデュースを務めた韓国人テノール歌手べー・チェチョルさんをはじめとする若き音楽家や、人形劇俳優・演出家の「たいらじょう」さんの姿もあり、出版を祝ってパフォーマンスが披露された。また、次男の妻である眞紀さんがあいさつに立ち、日野原さんと共に過ごせたことを「人生の想定外」だったと喜び、出席者に感謝の言葉を伝えた。