日曜日のクリスマスイブに向けて、教会だけでなく、街も盛り上がりを見せている。ところで、イエス・キリストが実際に生まれたイスラエルでは、どのようにクリスマスを迎えるのだろうか。イスラエルのメディアから取材したさまざまな情報を発信する「シオンとの架け橋」代表の石井田(いしいだ)直二さんに話を聞いた。
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イスラエルはもともとユダヤ教の国ですから、盛大にクリスマスを祝うことはありません。第二次世界大戦の前、ヨーロッパやロシアではキリスト教徒がユダヤ人を迫害していたので、そのような地域からイスラエルに帰還した人々は、「クリスマスには地下室に隠れていた」など、クリスマスにまつわる忌(い)まわしい記憶を持つ人々も多いのです。
ユダヤ教では、食物について「コーシャ」と呼ばれる厳しい規定があり、豚肉や、イカ、エビなどは食べることができず、牛肉も特別の処理を施したものだけです。こうした基準をクリアしたお店には認定印が与えられるのですが、ホテルなどがクリスマスパーティーなどの会場になった場合、このコーシャ認定を取り消されてしまうというニュースも以前は頻繁に報じられていました。それくらい、かつてはクリスマスを祝うことに対して拒絶反応があったのです。
クリスマスと同じ頃に祝われるユダヤ教のお祭りに、「ハヌカ」があります。紀元前2世紀、セレウコス朝シリアの支配下にあったユダヤ人が「マカバイ戦争」を起こし(旧約聖書続編「マカバイ記」参照)、エルサレム神殿を取り戻したことを記念するものです。新約聖書には「神殿奉献記念祭」(ヨハネ10:22)として記されています。
このハヌカは「光の祭り」とも呼ばれ、「キスレウの月」(ユダヤ暦の第9の月、グレゴリオ暦の11~12月)の25日から8日間にわたって行われます(1マカバイ4:52、56、59、2マカバイ1:18以降など)。「タルムード」によると、エルサレム神殿を取り戻した時、1日分の油しか残っていなかったのですが、それに火をともすと、8日間も燃え続けました。それを記念して、9本のろうそくを立てられる燭台(しょくだい)「ハヌキヤ」を飾り、中央の1本を種火として、そこから8本枝分かれしたろうそくに毎晩1本ずつ灯をともしていきます。
サンタクロースはいませんが、祭りの期間、子どもたちには両親から毎日プレゼントを渡されます。また、神殿に残された「油」にちなんで、この期間には油で揚げたものを食べる習慣があり、スフガニヤ(リング状ではないジャム入りドーナツ)など、ハヌカに欠かせないおやつもあります。
実は、イスラエルのクリスマスを取り巻く環境は年々変化しています。例年、このシーズンには世界中から巡礼者が訪れますが、それだけではなく、世俗派のユダヤ人を中心に、異国の文化としてクリスマスを楽しむ人が増えているのです。街に大きなクリスマスツリーが飾られたり、メサイアコンサートが開かれたり、エルサレムやナザレなどの教会を巡るツアーも人気を集めています。これは、ロシアからの移民がキリスト教文化をイスラエルに持ち込んだことにより、クリスマスが浸透していったと考えられています。
また、さまざまな宗教的バックグラウンドを持つ学生のいるヘブライ大学では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれに配慮した取り組みが進められています。そのため、ハヌカの祭りの初日とクリスマス、さらにイスラム教の犠牲祭は正式な休校日として定められています。
イエス・キリストが生まれたベツレヘムは、エルサレムの南およそ8キロのところにあります。そこには、世界文化遺産にも認定されている「聖誕教会」があり、毎年クリスマスになると多くの観光客が訪れ、そのミサが世界中継されることでも知られています。
しかし、ベツレヘムはパレスチナ自治区(1995年以降)であることを理由にイスラエル市民の立ち入りは禁じられており、近年ではイスラム教徒によるクリスマス関連イベントの妨害や迫害行動も過激化しています。かつてはベツレヘムの人口の約70パーセントがキリスト教徒でしたが、現在では約15パーセントにまで減少したと言われています。これは、イスラエルで宣教活動を行っているクリスチャンにとって非常に厳しい状況と言えるでしょう。
中東問題に加え、最近もトランプ大統領による「エルサレム首都認定宣言」で波紋を呼び、イスラエルは危険だと考えて警戒心を抱いている方もいるかもしれませんが、クリスチャンの方にはぜひ一度、イスラエルを訪れてみていただきたいですね。ガリラヤ湖やゲツセマネの丘など、聖書に登場する場所を実際に目にすると、「聖書に書かれていることは本当にこの場所で起こったことなんだ」と、より身近にイエス・キリストを感じられるかもしれません。