単立岡山ニューライフ教会(岡山市)牧師の佐藤史和さん(35)。「義多亜弾蔵(ぎたーひくぞう)」の名でミュージシャンとしても活動している。佐藤さんは昨年4月、交通事故に遭い、1週間、生死の境をさまよう中で不思議な体験をした。
佐藤さんは小学2年生の頃、両親がキリスト教会に通い始めたのをきっかけに、自身も教会に行くようになった。岡山から神戸の教会へ車で2時間かけて家族で通ったこともあったという。
小学生の頃は、万引をしてしまったり、いじめに遭ったりとさまざまなことがあり、幼いなりに「罪人である自分」と向き合うようになった。いじめがエスカレートしてくると眠れない日もあったが、賛美を聞くと不思議に眠りにつくことができたという。小学5年生で受洗。中学生の頃にギターと初めて出会った。
高校受験をしたが、志望校は不合格。「何だよ、神様なんて」と失望して教会を一時離れ、ビジュアル系バンドのコピーをするなど、音楽活動にのめり込むようになった。
高校卒業後、福岡大学に進学し、やがて韓国に語学留学をすることになった。その間、再び教会へと導かれ、路傍伝道や賛美奉仕に明け暮れた。そして数カ月後に帰国する頃には献身の思いが与えられ、帰国後、東京都内の神学校へ進んだ。
卒業後は地元の岡山に戻り、開拓伝道を始めた。今年10年目で、信徒数は40人ほどだという。月に1度は教会を開放し、地方で活動するアマチュアバンドを招いてライブを行ったりしている。
穏やかな人生が一変したのは、昨年4月13日のこと。自転車で道路を走っていた時だった。一時停止を無視して交差点に進入してきた車と接触。佐藤さんは車の上を転がり、そのまま後頭部を強打して地面にたたきつけられた。すぐに救急搬送され、集中治療室に入ったが、事故から数日たっても意識は戻らなかった。
この間、佐藤さんは不思議な体験をしている。
夢の中で佐藤さんがいたのはベンチの上。そこに座って、「大丈夫かな。これからどうなるんだろう」と不安に思っていると、右隣にいる誰かが手を握ってくれた。その手のぬくもりを感じて一気に不安がなくなり、大丈夫だと思えた。
しばらくベンチに座っていると、その誰かが伝道のための本やチラシ、CDのようなものを机の上に並べ始めた。そして、それらがいきなりキラキラと輝くダイヤモンドダストのように空中に上っていった。
「何が起こったのですか」と聞くと、「これらのものは1つの目的を果たした。御父に栄光を帰したのだ」とその人は答えた。
そこは風が強く吹いていた。誰かが息をして、その中に自分が入り込んでいるかのようだった。また、赤ちゃんがお母さんの胸に抱かれているように、その風はとても心地よかった。
「この人についていって、いろいろ話を聞いてみよう」と思い、歩きながら3つの質問をした。
1つ目は「これからどう生きていったらよいか」。するとその人は、「難しく考えなくてよい。単純でありなさい」と言った。意識が戻った後、子どもたちとザアカイの話を読んでいる時、「単純になるとは素直になることだ」と気付いたという。
2つ目の質問は、「悪魔に勝つにはどうすればいいか」。するとその人は、落花生を1つ佐藤さんの右手に載せた。「こんなの奥歯でかんだら終わりではないですか」と言うと、「悪魔と戦うとはそんなもんだ」とその人は答えた。
3つ目は、「どのように行動したらよいか」だった。日ごろ、祈りも信仰も大切だが、同時に行動も大切だと考えていた佐藤さんは、どう行動すればいいかに意味を感じていたのだ。
するとその人は、「行動するよりも大切なことは、あなたの口で語る言葉だ」と言った。
「私は何を語ったらよいのでしょう。自信がありません」と口にしたが、その人は黙ったままなので、取り繕うようにこう話した。
「しかし、イエス様の名前を忘れず語るようにします」
すると、その人は本当に優しい顔でほほ笑んで、「それで十分だ」と言った。この人はイエス・キリストではないかとこの時、感じたという。誰の名前によって祈り、誰の名前を賛美し、誰の名前によって救われているのかも、あらためて確認させられた。
イエスと歩いているうちに、気付くと大きな門の前にいた。おとぎ話に出てくるようなキラキラした門ではなく、どちらかというと地味だった。しかし、そこが天国の門だと気付くのに時間はかからなかった。
門に入るには、列をなした人々の最後尾に並ばなければならなかったが、自分の前にいる初老の男性はおいおい声を上げて泣いて喜んでいた。その前に並んでいた母親と見られる女性と中学生くらいの男の子は、「天国に着いたね」などと涙を流しながら話し、喜んでいた。佐藤さんも右手でガッツポーズを作り、「よっしゃ、天国!」と喜びをかみしめていた。
すると、今まで一緒に歩いていたイエスが振り向き、突然、こう話した。「あなたは地上に戻ることになっている」。その威厳ある風格、態度、言葉に圧倒され、佐藤さんは兵隊のように背筋を伸ばし、「はい」と答えた。
すると、イエスが自分を背中に負(お)ぶってくれた。目の前には電車があった。車内に入ると、イエスは優しく佐藤さんを座席に座らせた。
「ウソだと思うかもしれませんが、席の位置まで覚えているんですよ」
間もなく電車が動き始めた。イエスは外から佐藤さんを走りながら見送っていた。
「あなたは私のもとを離れるが、私はあなたといつも一緒にいる。よく覚えておきなさい。あなただけではない。すべての人一人一人と一緒にいるのだ。このことを地上に帰って伝えなさい」
そう言って佐藤さんを見送ってくれたという。
光のトンネルのようなところに入ると、その光は電車の中まで突き刺してきた。光をよく見てみると、自分が人知れず祈っている場面、誰も知らないところで奉仕している場面がテレビ画面のように一つ一つの光の中に映し出されていた。佐藤さんはその時のことをこう話す。
「僕は皆さんに伝えたいのです。人知れず祈る祈り、誰も見ていないような小さな奉仕でも、イエス様はきちんと見ていてくださいます。僕はこの光を見て、それを感じました。まさに神様の宝になるのだということです」
この光が消えると、佐藤さんの目に映ったのは集中治療室の天上にある蛍光灯だった。意識が戻った瞬間だった。事故から1週間がたっていた。妻が駆けつけると、なぜか韓国語で「どうして俺はここにいるんだ」と聞いたという。
後に警察から、「あと1センチずれていたら、車のバンパーに頭を強打して即死だった」と聞かされた。
「その夢の中で、家族に会いたいとか、この世に未練のようなものは感じなかったのですか」と尋ねると、こう話した。
「それが一切なかった。とにかく、ここにずっといたいと思いました。今でも戻りたいと思いますよ。でも、地上に戻された私には使命があると感じています。それはイエス様を伝えること。事故を経験して、私は自由になった気がします。これまでは、もっと伝道しなきゃ、教会に人を呼ばなきゃと、いろいろなものにとらわれていたのですが、ただ純粋にイエス様を信じて、それを皆に私の言葉で語ればいいんだと気付いたのです」
そして、「この話をすると、あの時のことを思い出すから、とても心地よい気持ちになるんですよ」と言って笑った。