「不良」だった少女が今はキリスト教の伝道師となり、迷いの中で生きる女性たちを励ましている。何度も夢を粉々に砕かれて荒れていた彼女をその中から脱出させてくれたのは、あるミュージカルに出演したことだった・・・。
さつきさんは3人きょうだいの末っ子として千葉県で生まれ育った。幼い頃から県大会や全国大会を目指し、兄や姉に負けまいと水泳の練習に明け暮れていた。
小学4年生の時に壮絶ないじめに遭った。「ばい菌」扱いされ、クラス全員から無視されたのだ。水泳スクールが唯一、自分の居場所だったという。
いじめられた経験から、同級生たちのいる公立校に進学することは避けたかった。そこで水泳の名門私立校に受験を希望したものの、両親からの反対に遭い、結局、学区内の公立校に進んだ。
中学1年の時、校則を厳しく取り締まっていた教師から理不尽な暴力を受け、あばら骨を折る全治2カ月の大ケガを負った。所属していた水泳クラブの選手選抜クラスの1人に選ばれていたが、それも断念せざるを得なかった。
学校側は必死にもみ消しにかかった。13歳という多感な時期に、生きがいだった水泳を奪われ、何より大人たちがウソの上塗りを重ね、保身に走っている姿に心底傷ついたという。
また、私立校を希望していたにもかかわらず、公立校に行かなければならなかったことで両親との間に溝ができ、憎しみのあまり大げんかを繰り返した。
こうしてさつきさんは学校へ行かなくなった。街をふらついていると、不良グループに声を掛けられた。次第にシンナーを覚え、暴走族のリーダーと14歳のさつきさんは付き合うことになった。
街のスナックに入り浸った。シンナーを吸い、酒も浴びるように飲んだ。タバコも吸った。歌に自信があったさつきさんは、芸能界を夢見ることもあった。スナックではやりの曲を覚え、チップ目当てに年上の男性に誘われるままデュエットもした。
「暴走族にいた時は楽しかったですね。罪の意識はほとんどない。先輩と一緒にシンナーをやったり、夜は暴走行為を繰り返していました。迫力とスリル、それから居場所のない仲間たちが集まってくるので、自分も居心地がよかった」
中学2年生の時、バイクの後ろに乗っていて、一時は足の切断を覚悟したほどの大ケガを負った。2カ月の入院後、ギプスをした足で再びバイクに。そして数カ月後、また交通事故で膝にケガを負い、入院した。
美容に興味のあったさつきさんは、高校ではなく、専門学校に進む道を選んだ。美容の勉強は楽しかったが、酒とシンナー漬けの生活の中、結局は中退した。
ただ、18歳になる頃には生活も落ち着き始めたという。
「大人になったからでしょうね。この間に彼氏も交通事故で亡くなったし、多くの友人を事故や自殺で亡くしました」
水泳のコーチやスキー場のバイトをしながら、20歳になる頃、後輩たちと当時はやりだった女性の暴走族「レディース」を結成し、総長になった。13、4歳の少女から、20歳になるさつきさんまで、十数人のグループだった。
しかし、警察による暴走族の一斉摘発で、成人していたさつきさんは逮捕された。その後、レディースを解散することを書面で提出し、釈放をされたという。
芸能界に入る夢はあきらめていなかった。さまざまなつながりの中で、アマチュアタレントとしてテレビ出演する機会も増えていた。テレビの企画で尼寺に修行に行ったこともあった。この時の経験は今も忘れていないという。自慢の歌声を武器に、芸能界入りは徐々に現実味を帯びてきた。オーディション番組で優勝し、ついにCDデビューも果たした。しかし、その番組が突然終了し、デビュー後わずか2カ月でさつきさんもお払い箱になった。そして再び酒におぼれる日々に。
見かねた兄とその友人が、気分転換を兼ねてハワイへ行くことを勧めてくれた。クリスチャンであった兄の友人宅にホームステイすることになった。着いた翌日は日曜日だったので、さつきさんは一緒に教会へ行った。
思い返せば、壮絶ないじめを受けていたとき、毎週、テレビで見る外国の教会の礼拝に心密かに憧れを抱いていたのだという。
教会で聴いた賛美の調べに涙が止まらなかった。英語はまったくと言っていいほど分からなかったが、そこに愛があると感じたという。
その日の週報に、ミュージカルのキャストの募集があった。さつきさんは「英語が分からないので無理だろうけど、せめて練習を見るだけでも」と思い、会場に足を運んだところ、見事合格。ミュージカルの舞台に立つことになった。
それは聖書に基づいた作品だった。練習のたびに御言葉がさつきさんの耳に入る。公演の最終日までちょうど3カ月。観光ビザで入国したさつきさんの滞在リミットギリギリだった。しかしそれは、さつきさんの人生を変える大きな転換期となった。
帰国後、また酒浸りの生活に逆戻りしてしまったさつきさんを見かねて、クリスチャンではない父親(後に受洗)が「ハワイに行って洗礼を受けたらどうだ」と勧めてくれ、早速ハワイの教会の牧師に手紙を書いた。
洗礼を受けるために再びハワイへ。そして帰国後、タウンページを開き、教会を探した。近隣の教会に行ってみたが、何かが違う。日本の教会にはなぜか馴染(なじ)めなかった。
オーディションを受けながらハワイと日本を行き来する生活をしていたとき、JTJ宣教神学校のことを知り、すぐに牧師志願科に入学した。神学校で勉強して、駅に着くと、ホームレスの人々に聖書の話をしながら晩酌をしていたという。「これも良い経験になりましたよ。いろいろな人の人生に触れることができましたね」
神学校は途中休学となってしまったが、その後、フェイス・オブ・ゴッド・バイブルスクールの通信教育を終え、40歳の時に伝道師としての按手を受けた。この時にはすでに酒を断つことに成功していた。さつきさんはこう話す。
「ここに来るまでに、私は何度となく霊的な解放を繰り返し経験してきました。異言をいただき、癒やしの奇跡も体験してきました。神様は私にダイレクトにさまざまなことを示してくださいました。もう迷うことがないよう、分かりやすい形で示してくださったのです」
現在は自然豊かな千葉県郊外に愛犬らと共に住んでいる。日曜日にはホープチャペル(鎮目政宏牧師、千葉県山武市)で賛美の奉仕なども積極的に行っている。
女性からの相談を多く受けるというさつきさんは、いつか女性や少女の駆け込み寺、また困難な状況下で暮らす子どもたちのための居場所を作れればと思っていた。この場所がそうなるよう、現在は祈りつつ準備を進めている。
昨今、ニュースでも取り沙汰されている性犯罪についても、悪魔の支配を感じると話す。女性を卑下してきた悪しき習慣から日本はまだ抜け切れていないのではと感じることも。
レディース時代にも、性犯罪被害に遭った女性がたくさんいた。現在もなおこうした被害に遭っている女性について、さつきさんは次のように話す。
「被害に遭った女性の苦悩は計り知れません。その痛みは想像を絶するものでしょう。しかし、いつの日か聖霊様が彼女たちに触れてくださり、憎しみから解放されることを祈ります。彼女たちもいつまでも立ち止まっていることはできないでしょう。結局、自分がどこに立ちたいか・・・だと思います。イエス様と共に歩むことを望むか、ずっと憎しみを抱えて立ち止まっているかを選択する時が来るのです」
「傷ついた女性に必要なのは、心の洗濯なのでは」とさつきさんは言う。「泥が付いてしまったシャツを洗うように、何度も何度も洗濯をしながら、少しずつきれいになっていくことが大切」と話してくれた。
さつきさんは、講演、相談を随時受け付けている。詳しくはメール([email protected])で問い合わせを。