第二次世界大戦中、ナチスによる迫害から逃れて「隠れ家」で日記を書き続け、最後には強制収容所で犠牲となったユダヤ系ドイツ人の少女、アンネ・フランク(1929〜45)。『アンネの日記』が出版されてから今年で70周年となるのを記念して、ドキュメンタリー映画「アンネの日記 第三章~閉ざされた世界の扉」の上映会が10日、立教大学(東京都豊島区)で開催された。
主催したのは、NPO法人ホロコースト教育資料センター(愛称:Kokoro)。ホロコーストの歴史を学ぶことを通して、子どもたちが差別や偏見に立ち向かえるようにと願い、活動を展開している。
Kokoro 代表を務める石岡史子さんは、同作品がこれまでの映画とは違い、当時の世界の「無関心」が大きなテーマであることを話した。
「『無関心』というテーマは現在社会に生きる人にとっても大きな課題。他者の痛みへの無関心は、国内でも対立や分断を生み、他者への攻撃につながる。無関心の壁をどう乗り越えていけるか、作品を通して一緒に考えていきたい」
まず、米国ニューヨークのイーヴォ・ユダヤ調査研究所で2005年、アンネの父オットーの書簡の数々が発見されたところから始まる。それらは、当時ナチスの迫害から逃れるため、米国に住む友人へ移住を願うもので、「せめて娘たちだけでも移住させてほしい」と必死の願いがつづられていた。しかし当時、米国をはじめ世界の国々はユダヤ難民を受け入れようとしなかった。そのため、フランク一家はオランダ・アムステルダムの隠れ家に身を潜めなければならなかったのだ。
同作品は、アンネの家族の中でただ1人生き延びた父オットーや、スイスに逃れたいとこのバディ・エリヤス、義妹のエヴァ・シュロッスらの証言を通して、ホロコーストの実態だけでなく、当時のユダヤ難民に扉を閉ざした世界の無関心を浮かび上がらせる。同作品が、「アンネの日記 第3章」となっているのは、オットーの手紙が第1章、「アンネの日記」を第2章、そして閉ざされた世界の無関心を第3章と捉えているからだ。
アンネの受けた苦しみを、隣人への「無関心」によるものとして見た時、これは単に71年前に起きた悲劇の出来事ではなくなる。現在でも対外戦争、民族紛争、政治的迫害、自然災害、飢餓などによって他国に援助を求めてやって来る難民の問題に置き換えることができるからだ。さらには日常生活でも、差別や偏見など、異なるものを受け入れられない人間の弱さについても考えさせられる。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と語ったのは、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦大統領(1920~2015)。敬虔(けいけん)なクリスチャンであったヴァイツゼッカー氏は、ドイツ敗戦40周年で行った歴史的な演説「荒れ野の40年」で、旧約聖書の申命記や民数記を引用して「40年」の意義を説き、過去を忘れないことが和解の道であること、互いに敵対するのではなく手を取り合うことを学んでほしいと訴えた。
またその演説の中で、「目を閉じず、耳をふさがずにいた人々、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人が実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めたのです」(『荒れ野の40年』岩波ブックレット)と指摘し、「無関心」がどれほどの悲劇を招いたかを語った。ヴァイツゼッカー氏の演説から30年以上たった今でも、私たちに与えられた課題は変わっていないのではないだろうか。
今回の上映会の共催者である立教大学チャプレン室の宮﨑光(みやざき・ひかり)司祭は次のように話した。
「難民の問題は、世界中の人が関心を持たなければいけません。そのために一人一人が無関心にならないよう学び続け、考え続けなければなりません。また、今も宗教間の争いがありますが、信仰は生き方の問題なので、その生き方を認め合い、尊重し合うことが大切です。相手を大事に思う心やリスペクトする気持ちを持てば、平和が与えられると思います」
さらに、アンネの名を冠したバラがオットー氏から日本に贈られ、以後、それが平和の象徴としてキリスト教会や学校などに植えられるようになったことに触れ、「こういう活動が平和の一歩となります」と語った。
ドキュメンタリー映画「アンネの日記 第3章~閉ざされた世界の扉」の今後の上映会については、NPO法人ホロコースト教育資料センターまで。