By Dr. K. Kinoshita(木下和好)
YouCanSpeak 開発者・同時通訳者
元NHK TV・ラジオ 英語教授
<スピーキング上達のための日々の習慣>
英語スピーキング上達のためには、正しい学習法に沿って正しく学ぶことが重要だが、日々の習慣も大切な役割を果たす。その習慣とは、日常生活の中で雑音のように耳に飛び込んで来る日本語を、同時通訳的に英語で表現し直すという作業だ。
もちろん、何か大切なことをしていたり、人と会話をしているときは無理だが、列車やバスを待っていたり、乗車しているとき、信号待ちをしているときなど、耳と口が暇なときに、聞こえて来る日本語を英語で言ってみる習慣を身につけると、結構良い練習になる。
これは同時通訳の技術を高めるためにも良い習慣で、30年以上も軽井沢で行っている「通訳セミナー」で私が参加者に薦めていることでもある。私自身も、半無意識的に行ってきており、とっさの通訳の時に役立っている。
<綾小路きみまろって誰?>
何年か前、海外出張中に日本テレビからの留守番電話があった。詳しい内容が分からなかったので、帰国直後、成田空港からテレビ局に電話を入れると、2日後に「綾小路きみまろの漫談が外国人に通じるか?」という特別番組が組まれていて、私に同時通訳をしてほしいという要件だった。
私は2つの理由で戸惑った。1つは「綾小路きみまろ」という人物をいまだ知らなかったこと。そしてもう1つは何の準備もなくいきなり漫談を英語に同時通訳できるだろうかという戸惑いだった。でも、他に頼める通訳者が見当たらないからと言われ、引き受けることにした。
<硬い通訳が多かった>
私は中学3年の時に通訳の訓練を受け、高校1年から通訳を始めた。最初はかなり下手だったが、徐々に慣れてきた。でも、通訳をしながら分かったことは、語学力にだけ頼るのは危険だということだ。
良い通訳をするためには、十分な準備が必要だ。準備とは話の内容だけでなく、話す人の人格、背景、知識、体験、思想などを把握することだ。それらを知っているのと知らないのとでは、通訳の質が全く異なる。それでも通訳の前に情報を十分得られる場合と、何の準備もなくいきなり通訳させられることもある。
通訳のための準備はさておき、高校1年からやってきている通訳の大半は、説教・講話、講義、そしてビジネス会議だった。それらはある意味で硬い内容で、エンターテインメント的要素はほとんどない。
時には「逐次通訳」
話者の脇に立って交互に話す
時には「同時通訳」
<準備が難しい駐日大使たちの通訳>
事前準備が難しく、神経を使うのが駐日大使たちの通訳だ。私は毎年行われている「国会クリスマス晩餐会」に参加するいろいろな国からの駐日大使の祝辞や講話を通訳しているが、失礼がないように、また訛りのある英語に惑わされないように通訳するためには、それなりのエネルギーが必要だ。でも、大使たちの通訳は光栄でもあり、楽しくもある。
<エンターテインメントの通訳は戸惑うことがある>
私はいつの間にか、エンターテインメント系の通訳も頼まれるようになった。その1つが腹話術師の通訳だ。世界にはレベルの高い腹話術師が大勢いて、彼らは腹話術をしていると感じさせないようなしゃべり方をする。すなわち、複数の人物が本当にそこに存在し、互いに自然に会話をしているような感じで話すのだ。そのような著名な腹話術師が東京に集結し、腹話術国際大会のような催しが何回か行われたが、私は彼らの通訳を頼まれた。
私自身、声を変えたり口をまったく動かさないで話すことなどできないので、本当に腹話術の通訳ができるのだろうかと不安に思ったが、実際やってみるとさほど大変ではなかった。なぜなら、私は腹話術師自身の通訳をしたり、人形が話すときは人形の通訳をしたので、正々堂々と口を動かすことができたからだ。ただ声の質だけは変えることができなかったので、複数の人物の話を1人の声で通訳する形となった。でも、聞いている人たちには違和感はなかったようだ。
<堺すすむの通訳>
ある時、腹話術師の通訳をしていたとき、突然ギターを持った「堺すすむ」が舞台に現れ、私を呼び寄せ、アドリブでしゃべり始めた。そして、私に英語に通訳するように促した。彼の特徴は面白い話の後、ギターを弾きながら「なーんでか?フラメンコ」というフレイズを言うところにあった。私はその特徴まで通訳しなければならなかったので、”Why is it?” を”Wh---y is it?” と ”why” を伸ばして言ったところ、本人の「なーんでか?」より受けてしまった。
<綾小路きみまろの通訳>
綾小路きみまろの漫談の同時通訳の日、私はある喫茶店に案内された。そこにはTVカメラが2台ほど用意されており、何人かの外国人たちがすでにテーブルを囲んでいた。私が漫談の録画が映し出されるテレビの脇に座ると、女子アナが現れ、視聴者に向かって何が始まるかの説明をした。また、綾小路きみまろ本人は別のカメラでテレビ画面に映し出され、同時通訳を見守りながらどんな結末になるかを見届けるという設定になっていた。
いよいよ録画の再生が始まり、外国人たちはそれを見ながら私の通訳に耳を傾けた。最初の1~2分は誰も笑わなかった。それを見て「きみまろ」はやはり自分の漫談は世界には通用しないと嘆き始めた。私も最初は調子が上がらず少しもたついた。でも、2分を過ぎた頃から外国人は笑い始め、最後まで笑い続けた。
通訳が終わった後、女子アナから感想を聞かれたので、「ダジャレの部分では笑いを取れなかったと思うが、話の85パーセントは通じ、その面白さは伝わったと思う」と答えた。それに感激した綾小路きみまろは、その後2度私に電話をよこし、海外公演を一緒にやらないかと誘って来た。でも、その後彼は超多忙となり、私とのコラボは実現していない。
<何でも英語で言ってみる習慣の大切さ>
今考えると、ジャンルも異なり、準備もできず、綾小路きみまろという人物について何も知らなかった私が、彼の漫談を英語に同時通訳し、それを聞いた外国人が最後まで笑ったのには、2つの要因があったと私は思う。1つは彼の漫談の話術とジョーク内容が世界に通用するものであったこと。そしてもう1つは、私自身が、聞こえて来る日本語をいつでも意識的に、また無意識的に英語で言ってみる習慣を身に着けていたことだろう。
英語スピーキング上達プログラムはこちら。
◇