東日本大震災から6年目を迎えた11日、神奈川県鎌倉市では、仏教、神道、キリスト教による3宗教合同の追悼・復興祈願祭が執り行われた。同祈願祭は、震災が起きた翌月の2011年4月11日に始められ、今回で7回目になる。
会場は毎年、寺、神社、教会と持ち回りで異なるが、3宗教が合同で1つの場所に集まる異例の祈願祭となっている。今年の会場は、第1回と第4回の会場だった鶴岡八幡宮。11日は晴天に恵まれ、多くの観光客を含む一般参列者1万人が儀式を見守った。
キリスト教界からは、カトリック雪ノ下教会、日本聖公会鎌倉聖ミカエル教会、日本基督教団大船教会、日本基督教団鎌倉恩寵教会など、鎌倉市内の一部の教会の司祭、牧師、信徒らが参列した。修道女や司祭、牧師が鶴岡八幡宮にいることに、一般参列者からは驚きの声が上がった。
本殿階段下、舞殿に各宗教の聖職者らが上がり、それぞれの宗教に敬意を表している光景は、まさに圧巻。
震災の発生した午後2時46分には、それまで騒がしかった境内にも静寂が訪れた。皆があの日を思い、犠牲になった方々、遺された人々に思いを馳せ、1分間の黙とうをささげた。
その後には、鶴岡八幡宮宮司らによって、大祓詞斉唱、宮司祝詞奏上などが行われた。厳粛な時間が流れ、手を合わせて祈る人々の姿も見られた。
続いて、鎌倉市内に約40ほどある寺の僧侶らによって読経が行われ、最後にキリスト教の各教派からさまざまな祈りと賛美がささげられた。
カトリック雪ノ下教会の山口道孝神父が献香と散水を行い、ペルー人信徒によって「アメイジング・グレイス」が歌われた。神社の境内に響く美しい賛美の声に、外国人観光客も足を止めて聞き入り、動画を撮影する人の姿も見られた。
日本聖公会鎌倉聖ミカエル教会の小林裕二牧師による聖書の朗読はローマ人への手紙8章22~27節。「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。・・・わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」という御言葉だ。
そして、日本基督教団大船教会の松下道成牧師が次のように祈った。
「すべてのものを創り、すべての命の源であり、すべてのものの帰る場所となってくださる父なる御神様。6年が経ちます。もう6年ですか。まだ6年ですか。まだ上を向いて歩けません。まだ忘れることができません。涙が枯れるほど泣いたのに、まだ心が締め付けられます。主よ、あなたは一緒に死んでくれました。一緒に生きてくれました。一緒に泣いてくれました。一緒に絶望してくれました。一緒に声にならない叫びを上げ、表すことのできない思いを共にしてくれました。だから、あなたは一緒に笑ってくれるでしょう。いつの日か一緒に喜んでくれるでしょう。なぜなら、あなたは悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に喜ぶお方であり、悲しみをいつか喜びに変えることのできる唯一のお方だからです。理不尽に多くのものを奪われながら、その失ったものと向き合い、そのつながりを見いだす人が1人ではありませんでした。全てはあなたにおいて意味を見いだすことができると信じます。ですから、主なる神の前に再び宗派を超えて集まり、祈りを交わします」
続いてカトリック雪ノ下教会の内藤聡助祭が「主の祈り」を導いた。一般参列者の中にも、配布された印刷物を目で追いながら共に「主の祈り」を唱えている人がいた。
賛美歌「いつくしみ深き」を合唱し、鎌倉恩寵教会の荒井仁牧師が結びの祈りをささげ、キリスト教の儀式は終了した。
神社に僧侶がいることに多くの人は違和感を覚えないようだが、神父や牧師はやはり場違いな感じがすること、また、日本人にとってキリスト教の儀式はまだまだ馴染みが薄いことなど、その場にいなければ感じられないことが多くあった。
3宗教の信仰者が宗派の壁を超えて一堂に会し、他の宗教の「聖なる場所」で祈り合うのは、宗教に寛容な日本ならではの光景と言えるかもしれない。しかし、その中で表されたキリスト教の祈りに慰めと希望を感じる人もいたのではないだろうか。