昨年12月10日から16日にかけて、日本大学芸術学部映画学科映像表現・理論コースのゼミ生が主催・運営する「信じる人をみる宗教映画祭」が、東京・渋谷のユーロスペースで開催された。1週間の開催期間中に、主催者の予想をはるかに上回る延べ約2千人が来場。過去6回の映画祭の中で最高動員を記録した。同12日には、映画「大いなる沈黙へ」(2014年日本公開)が上映され、社会学者の橋爪大三郎氏(69)を迎えてのトークイベントが行われた。
「大いなる沈黙へ」は、世界一厳格だといわれるフランスのカルトジオ会の男子修道院、グランド・シャルトルーズ修道院での修道士たちの生活を映し出したドキュメンタリー映画。修道院側から提示された条件に従い、照明などの機材を使用せず、フィリップ・グレーニング監督が単独で6カ月間、他の修道士と同じように独房で生活をしながら撮影・録音した映像で、礼拝の聖歌以外、BGMやナレーションを一切入れずに編集されている。同修道院では、定められた時間以外の会話は禁止されているため、約3時間弱の上映時間、観客もひたすら静けさに没入することができる作品だ。
今回の映画祭では期間中に2回上映されたが、そのうちの12日の上映後、司会の女子学生と共に橋爪氏が登壇し、「大いなる沈黙へ」やキリスト教についてのトークを繰り広げた。日本公開前にテスト版を見たという橋爪氏。作品についての感想を問われると、「この映画を見に来る人の気が知れないな、客席はガラガラだろうなと思った」と素直に第一印象を話し、観客の笑いを誘った。「ところが、こういう映画があるんだよと知り合いに話したら、映画館がぎゅうぎゅうの満員だったよと言われ、大変びっくりした経緯がある」という。
映画祭では、同じくフランスの男子修道院を取り扱った「神々と男たち」(11年日本公開)も上映された。ある学生は、両作品を比較して「ストイックに毎日神に祈りをささげる姿が内省的に感じられる『大いなる沈黙へ』と、地域や世界の人々のために生きようとしている『神々と男たち』の違いは何か」と質問。他の観客は「カルトジオ会と他の托鉢(たくはつ)修道会(私有財産を認めていない修道会)との違いは何か」と問いを投げ掛けた。これに対し橋爪氏は、修道院の起源がよく分かっていないことや、聖書の教えそのままを忠実に実践しているというよりも、来るべき「最後の審判」に備えて、それぞれの修道会の設立者の恣意的なルールを守り続けていることを説明した。
また学生からは、「話したい、食べたいなどといった気持ちを全部投げ打って、祈りに専念する生活を見て、信じることは強いことだと感じた。一方で信じることは、戦争やテロを引き起こしたり、恐ろしいことを働いたりする、としても強大な力があるように感じられる。どのように信じることに向き合うべきか」という質問も出た。橋爪氏は、「誰でも何かを信じている。だから、ことさらキリスト教が特別なことを信じていて、他の人が何も信じていないということはない。信じるものがなければ誰も生きていけない」と回答。「信じるものが周りの人と同じで、日常生活を営みながらできることなのか、それとも日常生活とまぎれてしまってはだめで、もっと大事に隔離された環境でしないとだめなのか。その違いしかない」と語った。
それに対して学生は、「とは言っても、どうしても日本人は、自分は無宗教だと感じている人が多く、宗教アレルギーのようなものがある気がする」と返答。橋爪氏は日本人の宗教性について、「何を信じているのかよく分かっていないだけで、本当は強烈に宗教的かもしれない」と話す。「日本人が信じているのは、人間が大事、仲間が大事、努力が大事、仕事が大事だということ。ネットワークの中で自分の居場所を見つけて頑張り、自分とみんなが幸せになることが大事。これは外国の人とはだいぶ違うから、ある意味で宗教といえる。日本人は、それに気が付いていないだけだ」
会場に集まった観客からは、「この作品をもう一度見たいと思っていた」「欧州を旅行したときに訪ねた聖堂にはほとんど人がいなかったので、実際に修道士たちが生活している姿を見ることができて新鮮だった」といった感想が聞かれた。
1週間で15作品、全28回が上映され、延べ2112人が足を運んだ。映画祭のテーマは毎年変わる。今回、「宗教」がテーマの候補に上がったのは、ゼミ生の多くがオウム真理教による地下鉄サリン事件の起きた1995年に生まれたということが背景にあったという。映画祭を終えて学生たちは、「メンバーの中には、地下鉄サリン事件、9・11を経て、宗教に対してアレルギーを持っている人もいた。最初は企画した私たち自身が特定の信仰を持っていないが故に、それはあくまで外側から見ただけにすぎなかったのかもしれないが、この企画を通してメンバー一同、この『信じる人をみる』という観点から映画を見ることで、宗教に対する不信感というものと向き合うことができたのではないかと思う」と話している。