開戦
日本は植民地の獲得に動き、まず満州を得、ここに傀儡(かいらい)政権を作った。
これは国際連盟によって42対1で植民地として断定され、日本は満州の侵略より手を引くように勧告された。日本はこれを不当として1933(昭和8)年に国際連盟より脱退した。1929(昭和4)年には、ケロッグ・ブリアン条約(パリ不戦条約)が発効しており、侵略戦争はこれを禁止するという、国際的な協定が成立していた。だから日本は、これに違反しているとされたのである。
ただこのような条約の常として、現状固定が目的である。要するに新興勢力を排除することが目的で、それ以後の領土獲得のための戦争を禁止するだけであって、過去の侵略の非を認めるものではない。いわんや、それまでの領土を返却するなどというものではない。この時西欧から見ると、新たに獲得すべき領土は日本とタイを除いてはもうほとんど無かったのである。
つまり世界中を見ると、有色人種の国は日本とタイ以外は全て西欧の植民地、または勢力下に置かれてしまっていたのである。
国際連盟において圧倒的多数の票決で、満州国の建設は日本の中国に対する侵略とされた。しかし実は、これら42カ国は提訴した中国を除いて全て白人国だったのである。インド、ヘジャズ(ヒジャーズ)のごとく独立国に準じて表決に加わった地域はあったが、実態はイギリスの植民地で、アジア人としての独自の投票はできなかった。
ここで普段は見落とされていることがある。それはタイである。タイは白票を投じた。日本の他に、世界でほとんど唯一の有色人種の独立国であったタイは、西欧に刃向かうことはできなかったが、西欧と並んで日本を断罪することもしなかった。正確には42対1、白票1なのである。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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