彼はヨーロッパに一度戻り、ヘレーネ夫人と娘レーナと共に束の間の憩いの中に過ごした。しかし、アメリカその他から講演の依頼があり、演奏のほうも続けなくてはならないので、長く留まることはできなかった。1927年から1年間スウェーデン、デンマーク、オランダ、そしてイギリスを講演して回る。
翌1928年にドイツに戻ったとき、フランクフルト・アム・マインにて「ゲーテ賞」を受けることになった。彼はこの賞金で自分の家を建てた。父が亡くなり、ギュンスバッハの牧師館に住むことができなくなったためである。
しかし、彼は苦しい生活であえぐドイツの同胞のことを忘れず、賞金を自分のために使うことに罪悪感を覚えた。そこで彼は、ドイツ国内で「社会福祉事業」と「海外伝道会」のために講演を行い、それが「ゲーテ賞」と同額になるまでやめなかったのである。
1929年。3度目にランバレネに渡る。このたびは彼の健康を心配してヘレーネ夫人が付き添った。この船の中で『使徒パウロの神秘主義』が完成。ランバレネ病院はよく守られ、さらに発展していた。
神経病患者のための新しい建物が建つことになったが、これはモード・ロイデンの「ギルドハウス会」からの寄贈であった。その後、重病人のための大きなバラックと食料貯蔵のための倉庫、そして付き添いの人のための宿舎を建てる必要に迫られたが、この時アルザスの材木商G・ツーベル氏がオゴーウェ地方を去ってヨーロッパに帰るに当たり、最後の奉仕をしたいと、セメントのタンク数個と、セメント造りの家を作ってくれたのであった。
「エデンの園」は毎月、野菜やバナナ、油ヤシなど新しい植林地を少しずつ広げていた。果樹園からはたわわに実った果実を誰でも自由にとることができたが、いつも使い切れないほどの収穫であった。
オイエンボの種の中には珍しい蜜柑(みかん)が混じっていて、今ようやく苗木になったところだった。教会の塔には、アルザスの鋳造所で作った鐘が鳴って祈りの時を告げる。桟橋では夜中、ランプが赤々と燃え、熱帯の夜に希望の光を投げ掛けていた。
1930年1月14日。シュヴァイツァーは55歳になった。この頃には、3人の有能な医師ドクトル・ネスマン、ドクトル・ラウテンブルク、ドクトル・トレンスの協力を得、夫人もそばにいるので、彼はいつになく心にゆとりを覚えた。この年『使徒パウロの神秘主義』が世に出る。また、彼はペンを取り、「生命の畏敬」に関する理念を書き始めた。
「世界は事象のみでなく、また生命である。あらゆる生命に奉仕することによって、私たちの人生は意義あるものとなる」
「人間にとって善とは、生命を生かすことであり、悪とは生命を殺すことである」
「人間にとって自らの生命と同じように、植物や動物の生命も神聖であるときのみ、そしてどんな生命をも力を尽くして助けるときにのみ、人間は真に偉大な存在になれるのである」
この思想は、『わが生涯と思想より』と題する本にまとまり、1931年に出版された。
1932年2月22日。シュヴァイツァーはフランクフルト市に招かれ、フランクフルト・アム・マインで「ゲーテ死後百年祭」の記念講演を行う。この頃ドイツ国民は絶望のどん底にあった。経済的不況にあえぎ、失業者は600万人以上。何千という人が自殺し、何万という人が餓死していた。このような中で、シュヴァイツァーの講演は人々の胸に希望の火をともし、生きる望みを与えた。
その後イギリスへ。モード・ロイデンの「ギルドハウス会」を訪れ、事業を支えてくれた感謝と共に説教をした。ウェストミンスターのマーガレット教会のオルガン演奏は、ラジオで全世界に放送された。オックスフォード大学は「神学名誉博士号」を彼に贈り、セント・アンドリュー大学は「神学および音楽博士号」をそれぞれ贈った。この年、ギュンスバッハの自宅で、彼は『文化哲学』第3巻の『キリスト教と世界の宗教』を完成させた。
翌年アフリカに4回目の滞在をしたかと思うと、1934年には、またヨーロッパへ。オックスフォードのヒッバートでシュヴァイツァーは「近代文化の宗教的危機」と題する記念的講演を行った。彼は聴衆にこう語り掛けた。
「人間は、謙虚さのうちに知に至る道を求めるべきです。われわれが自然への洞察を深めれば深めるほど、自然は生命に満ちているということを一層認識するでしょう。そこで、倫理に対しては次の句が善悪の尺度になるべきです。すなわち、生命を維持することは善であり、生命を妨げたり破壊したりすることは悪だということです」――と。そして彼はなおも語る。
「われわれは今、暗闇の中を歩いている。しかし、われわれは確実に前進しているのです」
会場は、感動のるつぼと化した。
*
<あとがき>
時代の混迷の中で、一体何が善で、何が悪か分からない――というつぶやきがよく聞かれます。しかし、シュヴァイツァーは極めて単純な言葉で、これを示しました。彼はこう言っています。
「人間にとって善とは、生命を生かすことであり、悪とは生命を殺すことである」
そして、さらにこうも語っています。
「人間にとって自らの生命と同じように、植物や動物の生命も神聖であるときのみ、そしてどんな生命をも力を尽くして助けるときにのみ、人間は真に偉大な存在になれるのである」
原文を直訳すると「倫理的存在」という言葉になるそうですが、若い層の方々にはやや分かりにくいと思われるので「偉大な存在」という語に置き換えさせていただきました。
幼い時から動物の虐待や弱い立場の人々の苦しみに胸を痛めてきた彼が、ついに行き着いた「生命への畏敬」は、今や倫理思想の金字塔になっています。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。