子どもの頃の経験というものは、一生心の中に宿るものだと思います。
アフリカの赤道直下の国ガボンのランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯をささげたアルベルト・シュバイツァー(1875~1965年)の子どもの頃の一つのエピソードを聞いたことがあります。
細かい部分の記憶は定かではありません。ある時、知り合いのおじさんが馬車を操ってアルベルトの家にやってきました。子どものアルベルトは、一度自分も馬車を操作してみたいとおじさんにお願いしました。おじさんは快く横に乗せてくれました。
手綱を持たしてくれて、鞭まで貸してくれたのです。そして、アルベルトに馬を走らせてもいいよと言うのです。アルベルトは生まれて初めて馬を走らせたのです。おじさんと一緒に町を通ると、アルベルトの友達が彼を見て、驚き手を振ります。
アルベルトはだんだん調子に乗ってきて、少しずつ馬を速く走らせました。速く走れば走るほど、通りの人々は驚きの目で彼を見つめます。小さい子どもが馬車を御しているというので、人々の注目の的になったのです。
そうなればなるほど、少年は有頂天になり、ますます馬の尻に鞭を強く当てて速く走らせました。そして、街をぐるりと回って元の自分の家に帰ってきました。ぞくぞくするような感動を少年は覚えました。
そして、大きな満足を覚えて馬車から降りてきました。その時です。馬の大きなお腹が激しく波打っていて、荒々しい息遣いとともに、全身は大粒の汗が流れていたのです。苦しそうにあえいでいる馬を見上げたとき、それまでスリルと満足感を覚えていたアルベルトは一瞬体が硬直するような戦慄(せんりつ)を覚えました。
自分が楽しくてぞくぞくするような満足感を覚えていたときに、その家畜はこんなにも苦しい思いをしていたことを自分は全く知らなかった。動物にあれほどの苦しみを自分の楽しみのために与えてしまったという後悔が彼を襲いました。
その時、彼は自分に誓ったのでした。生きている限り、自分のためにいかなる人にも生き物にも二度とこのような痛みや苦しみを与えないということを。それが後に彼の「生命への畏敬」という思想となって開花していったのだと思います。
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