ある芥川賞受賞作家の話です。
「まだ売れない不遇の時、ヤケ酒を飲んでフラフラ街を歩いていた。人にぶつかり、からみ、怒鳴り散らして酔っ払っている作家に近づいて伝道トラクトをわざわざ配る人がいたそうだ。みんなイヤな顔をして避けている中で、声をかけトラクトを渡し握らせる人がいるとは。その後、芥川賞をとり文壇で活躍し、多忙さゆえにそんな出来事はもちろん忘れてしまった。しかし晩年ガンで入院した時、突如、若き時代、酔っ払いの自分を邪気にせずトラクトと教会の伝道集会案内を渡してくれた時のことを思い出した。そして病院に牧師を招き、話を聞き、聖書を読み、遂に病床洗礼を受けて召されていった」。
酔っ払いにまでトラクトを配るなんてムダと誰もが思います。私も配らないだろうなと自信を持って言えます(そんな自信は持たなくてもよい!との声すなり)。しかしそのムダとも思える行為が何十年あとに感激的な実を結んだのです。
分からないものです。いつどこでどうなるかは。だからこそみ言葉の種を蒔きつづけるのでしょう。
ところでそのトラクトというのは引っ張るという意味があります。トラクターという物を引っ張る車も同じ語源です。では何を引っ張るのでしょう。失われてゆく魂をです。ではどこへ引っ張るのでしょう。教会へ、キリストのもとへと引っ張っていくのです。
トラクト一枚が思わぬ仕方で魂をキリストの許へ、教会へと引っ張っていく、そういうことはありうるのです。路上でもらったトラクトから導かれて遂に牧師になった若き女性を私も知っています。
自分に引っ張る力があるというのではないのです。引っ張る方も、引っ張られる方も同じ弱い人間にすぎません。しかし、引っ張る方は一足先きにキリストの許にあるすばらしさを知っているのです。ただそれだけの違いです。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。