米国から来日した女性禁酒活動家の演説を聞いて立ち上がった56人のキリスト者の女性たちがいた。彼女たちが創設したのが東京婦人矯風会、現在の日本キリスト教婦人矯風会である。1886年12月6日の出来事だった。それから130年間、女性と子どもの人権を守り、その福祉への貢献を目標に活動を続けてきた。
1886年といえば、封建制度が崩壊し、人権意識を持つ人など、当時の日本にはほとんどいない時代だった。まして、女性の人権など「皆無」に等しかったこの時代に、「日本の女性にとって、本質的な問題は女性の地位にある」と、まずは「一夫一婦」の建白書の提出から矯風会の活動は始まった。
以降、未成年者喫煙・飲酒禁止法、婦人参政権、売春防止法、児童買春・ポルノ禁止法、DV防止法などの法整備に関わり、そのたびに女性たちが声を上げ、活動を行ってきた。とりわけ、戦時中の活動は困難を極めたが、130年の深い歴史を築いた矯風会は、今もなお、JR大久保駅近くの矯風会本部を拠点に活動中だ。
6日、東京都新宿区の矯風会館ホールでは、創立130周年記念レクチャー・コンサートとして、「見せない半分/聴かない半分 クラシック音楽の女性作曲家“不在”の理由」と題したイベントが開催された。講師を務めたのは、国立音楽大学名誉教授の小林緑さん。来場した聴講者は、講演とともに、女性作曲家が作った曲をハープ、バイオリン、チェロなどの音色で楽しんだ。
レクチャーに先駆け、「矯風会130周年記念礼拝」が持たれ、満席になった会場の参加者とともに、感謝の祈りをささげた。司式をしたのは、矯風会常任理事で、日本基督教団溝ノ口教会の飯田瑞穂牧師、メッセージを取り次いだのは、同理事で同教団大和教会の小泉麻子牧師。
「つつむ愛」と題したメッセージの中で、小泉牧師は、自然界の中で生きる植物も動物も創造主である神が養い育ててくださっていることに感謝すると同時に、私たちが住む社会は、地位や権力、経済力の差によって、その人の価値が変わるかのように思われがちだが、聖書はそれをはっきりと否定しているとして、御言葉を読んだ。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイ6:26)
また、矯風会設立当初に思いを馳せ、「56人のキリストを信じる女性たちが立ち上がったのは、全知全能である神がこの女性たちを通して、何もないところからこの活動を始めてくださったのでないか」と話した。
女性作曲家の研究を始めて25年がたつという小林緑さん。女性作曲家の研究をする前は、モーツァルトなどの誰でも知っているような著名な作曲家の研究を行っていたという。
同じく音楽家の夫がコレクションをしていたCDの中には、女性作曲家が作った貴重な作品が多く、それらを聞いているうちに「これは、音楽を研究している女性の1人として黙っていることはできない!」と研究を始めたのだという。音楽大学は、男性よりも女性が多いのにもかかわらず、研究したり、演奏したりしているのは男性の作品ばかり。学生たちは、まるで男性の作曲家を「神様」のようにあがめ、憧れを持っているといった状況に、偉大な女性作曲家たちの存在を研究しようと決意したのだと話した。
モーツァルトの研究もこれから・・・というときだったが、女性作曲家の研究に移行したことに後悔はなかった。「私が何十年とかけて研究してきたモーツァルトの時代にも、実は、優秀な女性作曲家がたくさんいたのです。それなのに、どうしてモーツァルトやその周辺の男性作曲家のことしか音楽史上、語られてこなかったのか・・・モーツァルトを研究していたことで、逆にそんな発想も持つようになりました」と小林さんは語る。
今回のテーマ「見せない半分/聴かない半分」について、「見せなかった」のは、音楽史上、女性の存在があまりにもないがしろにされてきたこと、優秀な作曲家が多くいたにもかかわらず、そこに蓋(ふた)をしてきた音楽界のこと、「聴かない半分」については、私たちの潜在意識の中でどこか「どうせ女の人の音楽なんてつまらないでしょう」という思いがあって、自ら耳をふさいでしまい、著名な男性作曲家に傾倒していった歴史があるのではないか・・・と説明した。
会場に訪れた参加者には、小林さん夫妻が中心となって書き上げた「女性作曲家ガイドブック2016」が配布された。これは、こうした講演会などの会場で資料として配布しているもので、非売品だという。その中で、小林さんは「19世紀、特にフランスには傑出した女性作曲家が数多く現れていた。彼女たちの本拠が大きなコンサートホールや権威的な教会ではなく、自らの居間やサロンであったことも同時に強調しておこう。(中略)ともかく聴いてほしい、知ってほしい・・・そんな思いを抱かせるほど女性たちの作品は豊かで多様だ。有名になっている男性たちと比べて、かくまで冷遇されなければならない理由がどこにあろう?」と語っている。
この日、小林さんが紹介した作曲家はアンリエット・ルニエというフランスの作曲家であった。「『ピアノのショパン』と言われるように、おのおのの楽器を代表する作曲家がいます。『ハープのルニエ』なのです。それなのに、音楽研究者が何か調べたいときにまず初めに開く『ニューグローヴ音楽事典』という本がありますが、その事典にはルニエの記述がないのです。こんなに素晴らしく、著名な作曲家なのに記述がないというのは驚くべきこと。彼女が女性であったためにないがしろにされたということ、それから当時は『クラシック音楽といえばドイツ』という意識が強かったので、フランスの作曲家は、あまり重要視されていなかったのです。あとは、ハープという楽器がピアノ、バイオリンに比べて、マイナーであったことも否めないと思います」と紹介した。
ルニエは、敬虔なカトリック教徒であった。演奏者としても作曲家としても、また指導者としても類まれなる才能を発揮した彼女は、生涯独身を貫き、音楽に一生をささげたといわれている。11歳で、当時、男の世界であったパリ音楽院に入学。13歳で当時の女性としては異例であった、音楽院の和声と作曲科クラスに入学を許された。1度は決裂したものの、後に和解した恩師アルフォンス・アッセルマンがパリの音楽院を退任する際には、彼女の実力、才能、資質ともに、後継者争いの最有力候補になったが、彼女の保守的思想、かたくなな信仰心の故に、後継者には選出されなかった。当時のフランスは、はっきりとした政教分離がなされ、信仰心のあつい彼女は不適格とされたのであった。
この日、ルニエが作曲または編曲をした4曲がハープ、バイオリン、チェロの演奏者によって演奏された。「ルニエは、超絶技巧の持ち主。彼女の作品は、非常に繊細で演奏するのが難しい。しかし、今日は、このようにルニエに焦点を当てた演奏を皆さんに聴いていただくことができて、非常にうれしく思っている」と講演を結んだ。
ルニエが紡いだ美しいハープの調べは、「女性作曲家」と先に聞いたからか、柔らかで優しく、聴衆の耳に心地よく響いた。世の中に溢れる偉人と呼ばれる男性が作曲した「名曲」と比べて、何ら引けを取らないルニエの作品。華やかな音楽史の裏で静かに訴えた女性たちの声を、今こそ聞くべきときなのかもしれない。矯風会130周年にふさわしいコンサートは、大盛況のうちに幕を閉じた。