三度目の聖地は、新婚旅行にも行けなかった家内と、中学一年の義嗣、小学六年の愛香もいっしょの、家族そろった旅だった。富雄キリスト教会の姉妹の好意で備えられた、楽しい祝福の時を感謝している。
義嗣は中学生ごろになると、山登りが大嫌いになっていた。シナイ登山もいやがっていたので、聖地の独特の雰囲気の中で、山登りの秘訣を教えた。「ともかくガイドにくっついて行け。先頭を行けば大丈夫。必ず休憩地点があるから、そこまで行けば休める。最後の人が着くまで待つから、かなり休めるぞ。ガイドは最後の人が来ると歩きだす。最後になると、休めないからもっと疲れるのだ」。彼はアドバイスを忠実に守り、登り道も下り坂も先頭を歩いた。人生もそのように歩いてほしいと祈っている。
義嗣誕生から一年七ヵ月目に生まれた愛香は、身体の大きい元気な子だった。
ちょうど『リビングバイブル』が発行されたころ、愛香はことばをしゃべるようになっていた。私が「すでに、主の恵みといつくしみを経験したのですから、泣いてミルクを欲しがる赤ん坊のように、熱心に・・・」(Iペテロ2:2)と書斎で読んでいたら、隣の部屋から「おっぱいよう!おっぱいよう!」と、大きな泣き声が響いてきた。聖書のどんな解説書よりも、愛香の叫び声のほうがよく分かった。
昼寝も夜泣きもしない、育てやすい赤ちゃんだった。
一九七九年、その年の教会の標語は、「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ」(イザヤ60:1)というみことばだった。この聖句をすっかり覚えた愛香は、朝は五時ごろから起き上がり、私が寝ている上に乗っかって、「お父さん、お父さん。起きて!光を放て!」と目覚まし代わりに起こすのが、毎日の日課になった。
ある日、学院の授業中に、家内から緊急の電話だと呼ばれた。私たちは出先には電話しないという不文律をもつ夫婦だった。不審に思いながら電話を取ると、「大変です。愛香が二階から落ちました」と言う。私は「あっ、そう。二階から落ちたのか。大したことがなければいいな。授業中だからまた後で電話する」と答えた。
教室へ戻る途中、「二階から落ちた」ということばが気になった。子どもたちは二段ベッドを使っていたので、ふざけていてそこから落ちたのだと思って電話を切ったのだ。胸騒ぎがし、大急ぎで家に電話をしたが、だれも出ない。「二階から落ちた」とは、どう言うことか。心配しながら、予定していた昼までの授業を終え、食事もせずに家に急いだ。だれもいない。隣のプロパン屋の西田さんが、「榮さん、お宅の娘さん、二階から落ちましたでえ。心配でっしゃろ。救急車で運ばれましたわ」と教えてくれた。
一瞬、目の前が真っ暗になった。二段ベッドではなかった。当時の住まいは、一階が天井の高い教会堂で、普通よりも二階は高い。しかも落ちたという裏側には、コンクリートの狭いすき間しかなかった。どこの病院かも分からず、日生球場で行なわれていたビリー・グラハム大会の奉仕に行く時間も迫っている。
気をもんでいると、義嗣だけ連れて、家内が帰ってきた。義嗣が興奮して、「お父さん、愛ちゃんな、オチタンヤデ。二階から飛び出したんや。救急車乗ったで。早かったで・・・」。一生懸命しゃべるが、三歳児のことばはつかみどころがない。
家内の説明によると、窓際のベッドに乗り、義嗣と遊んでいたそうだ。義嗣は網戸の所でベッドから下りた。お兄ちゃんのまねをしていた愛香は、網戸とは知らず、お兄ちゃんより遠くまで行こうとして、そのまま網戸を破って飛んでいった。「愛ちゃんが落ちた」と義嗣が叫んだので、家内もベッドから落ちたと思ってゆっくり入ってきたら、愛香がいない。「愛ちゃんは?」と聞いた途端、大きな泣き声が聞こえた。びっくりして窓の下をのぞいたら、愛香が下に立って大声で泣いている。家内は愛香をしっかり抱きしめ、必死で祈った。泣き声を聞きつけた近所の人たちも駆けつけ、救急車を呼んでくれた。その間に家内は私に連絡を入れたが、「あっ、そう。二階から落ちたのか。大したことがなければいいな」と、あっさり電話を切られてしまったのだ。何という人だろうと思ったという。信仰が徹底しているのか? 人の心配も分からない冷たい人なのか? 娘が二階から落ちて動転しているのに、「『あっ、そう』はないんじゃない」と言われた。事実は思い違いだと分かり、笑い話に終わった。
愛香は二階から飛び出したのに、かすり傷ひとつなく、頭も打っていなかった。ただ事情が事情だけに、学園前診療所の医者も心配し、一晩だけ入院して様子を見ることにした。翌日はもういつもの元気さを取り戻し、朝早くから「お母さん、起きよ、光を放て」と病院のベッドの上で叫んでいた。
子どもには天使がついているというが、まさしく守られて感謝だった。救急車を呼んでくれた近所の方々も、教会の子には神様がついていると噂し合っていた。
今でも愛香に、「お前はとんでもない子じゃなくて、飛んだ子だよ」と、よく冗談で言う。また毎朝「おはよう、愛香。かわいいね。今日もすてきだね」と朝のあいさつをする。彼女も、「おはよう。お父さんもね」とエールを送り返してくれる。
愛香とは、アフリカへも二度いっしょに行った。パラダイス孤児院の子どもの世話をする姿を見ながら、あの幼い日「起きよ、光を放て」と叫んでいたように、輝いて生きてほしいといつも祈っている。
神の守りに感謝し、家族そろっての初めての旅が、聖地旅行であったことは喜びであった。
死海には魚も生息できず、植物も生えないはずなのに、死海の岸に花が咲き乱れている絵ハガキをホテルで見つけた。不思議に思ってガイドに尋ねると、六十年に一度の現象だと言う。異常発生したサソリの巣跡の小さな穴に水がたまり、そこに風に飛ばされてきた種が落ち、その年一斉に花開いたとのことだった。
自然の世界は驚異に満ちているが、人生もまた驚きに満ちている。イエス・キリストを信じただけなのに、サソリに食い荒らされたような人生を、神は変えてくださり、愛する家族とともに聖地に行く恵みまでくださったのだ。
主の恵みは豊かに限りなく、荒野を水のわく所とし、砂漠に川が流れ花が咲き乱れる。祝福を与えるために、神は私の人生を変えてくださり、祝福を受け継ぐ者とされたのである。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)