往年の英国の名優バッタルトンにある牧師が「あなたが作り話を演ずる時、人々は涙を流して感動します。そのくせ私たちが真実を語っているのに一向に心を動かさないのはどうしてでしょう」と聞きました。
それに対しバッタルトンはこう答えたそうです。「それは私たち俳優は作り話を真実のつもりで演じるのに対し、あなたがたは真実を作り話のように語るからでしょう」。
これを聞かされた牧師がどんな顔をしていたか、その後どうなったかこのエピソードは語っていません。要するに語るとは心からしみじみ真実を語り伝えることに尽きるのでしょう。
「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、わたしも受けたものです」とパウロは言いました。(1コリント一五章3)。そして4節以下に宣教の中心メッセージとして十字架と復活を語ったのでした。
この宣教の中心メッセージを「ケリュグマ」と古来言っています。
ケリュグマを私自身も受け、それを真実として信じ、心から感動をもって伝える、これが伝道でしょう。
「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」(マルコ一章14‐16)。
この主イエスの第一声以来、ケリュグマ(宣教)がもたらされていったのです。ケリュグマが神の国の福音を創作したのではなく、逆に神の国(神の愛による支配、領域)がイエスによって宣べ伝えられたゆえにこそ、使徒たちはそのケリュグマを語り伝えたのです。
使徒たちが生き生きとみ言葉を語り得た秘訣をある人はこう宣べていました。「使徒たちはイエスを思い出すことがなかった。主イエスが彼らといつもともにいたからである」。
今も生きる主と共にあり続け語りましょう。
(C)教文館
山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。