マスメディアの利用
現在、ロシアの書店には「実用呪術書」がたくさん並び、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどを通して、呪術が広がっている。ソ連崩壊後に有料となった医療サービスの代わりに治療の呪文を唱える、インフレの物価高騰の中で家庭菜園で野菜がよく育つ呪文を唱えるなど、「困難な時代こそ呪術の利用を!」というメッセージとして広がり、全国に多くの売れっ子呪術師がいるのだという。
ベストセラー呪術師ステパーノヴァ(シベリア在住)
特に最も有名なステパーノヴァという女性呪術師は、1991年以降すでに200冊近い著書を出版し、数十万部単位で売れてベストセラーとなっている。著作は、「読者の相談に応えて必要な呪文を教える」形式で、本の儀礼を行えば「誰でも呪術師になれる」というスタンスで書かれている。
「夫が出張先で浮気をしないようにする呪文」「アルコール依存症の息子を助ける呪文」「夫の愛人が美しくなくなる呪い」(!)など、非常に細かく数千以上の用途の呪文が書かれている。
「アルコール中毒から抜け出す呪文」――小川の石を水の中に入れ「川底の石が水を飲まない。同じように神の僕(しもべ)なる●●も飲みませんように、アーメン」と唱えながら飲ませる。
ソ連時代、呪文の伝統がかなり喪失されたが、その事実が、ステパーノヴァが創作した呪文を「失われかかっている伝統」として受け入れさせる素地となっている。なぜならそれが「本当の伝統」かどうかは誰にも確かめようがない。呪術迫害の時代を経て、ステパーノヴァのもとにしか残されなかった知識である、という解釈の余地が常に残されるからだ。こうした伝統喪失のパラダイムにより、ステパーノヴァは無限に呪文を創作することが可能になった。創作した呪文を「伝統」として提示すればするほど、読者たちは「失ったもの」の大きさを実感し、彼女に感謝することになるのだ。
オカルト化する学術研究
また、民俗学の研究資料や研究論文として「呪いをかけるためには、墓から土を取り、相手の玄関に置く」という手法を社会的事実として報告する記述が、あたかも自然科学的事実として「学者が保証したもの」と誤解され受け止められてしまうなどの事例も多い。真剣に信じる研究者も増えており、さらに一般人も影響されるという悪循環ができてしまっている。
在野の呪術の実践、実用的なメディア情報、学術研究の3つの情報が互いに引用され循環していく中で「情報が同質化」し、「相談」「参照」すればするほど「呪術のリアリティー」が保証され、ますます呪術が広がってしまうという不幸な状態になっている。
2008年に行われたあるアンケートによると、呪術を「信じる」と語る人は7パーセント程度だが、身近な不幸をきっかけに呪術を「体験」し、メディアなどのさまざまな語り口に触れる中、信じていない人が信じてしまうようになるという現状があると、藤原氏は話した。
呪術の376の事例から見えてきた「現代ロシア版 渡る世間は鬼ばかり!?」
また藤原氏は、ベストセラー呪術師ステパーノヴァによる『シベリア呪術師の呪文』(全38巻)に掲載されている、読者による呪いに関する相談376ケースの量的調査に基づくユニークな実態も発表した。そこから見えてくるのは、まるで「現代ロシア版 渡る世間は鬼ばかり!?」ともいうべきものだ。その内容を幾つか紹介しよう。
ロシアでは「不幸があると女は宗教に走り、男は酒に走る」(!)という言葉もあるように、呪いについて語る人の内訳は、女性86パーセント、男性11パーセントと、女性が圧倒的に多い。
呪いの加害者と被害者の関係は「恋敵」「姻族」などが多い。姻族間の呪いに関してはロシアの住宅事情が悪いために結婚しても妻または夫の実家での同居が多く、そのストレスが影響していると考えられる。そのほか、「隣人」「血族」と続く。
呪術をかける理由としては、相手の不貞や嫁姑争い、相続、また性的な不満などさまざまなものがある。そのほか、解雇された「元部下から上司への呪い」(!)や、金銭などの理由もある。
息子が恋した相手と結婚できないように母親が呪いをかけたり、兵役中に結婚を約束した恋人が他人と結婚してしまい失望から自殺した息子に代わって母が相手を呪う、というケースもある。
職業的な理由で呪われるケースとしては、裁判官、助産師、監査機関に勤める人などがあった。
呪術の道具として、最も使われるのは写真で、SNSにアップされた写真が使われることも多いという(!)。そのため、ベストセラー呪術師のステパーノヴァも超有名人にもかかわらず、一切写真を世に出していないそうだ(!)。次いで土、さらに棺桶や墓、ろうそく、針、お金、十字架などがよく使われる。教会での死者儀礼を生者に向かって行う形式でなされることが多い。
場所は、被害者の家や加害者の家で飲食物を通してひそかに呪いが実行される(!)が最も多く、さらに墓地や教会で行われることも多い。呪術の中に「キリスト教的要素」を含む呪いが全体の約3分の1を占めるが、ほとんどは「神」の側に立ってからかけるというのが特徴だ。これには「呪いの行為は立場が違えば見え方が違う」という理由がある。
例えば、捨てられそうになった妻が夫の愛人を呪う場合、妻からは「神様、私の家庭を壊す相手に害をなしてください」というディフェンス(守備的)な祈りと考えるが、それは呪われる側(愛人)には「呪い」に他ならない。呪う側にとっての「祈り」を相手が「呪い」と認識する、という構造もある。
今回取り上げた資料の9割のケースで不幸に見舞われているという事実が「呪われた」という推測とつながっている。知人などから「呪いではないか」と言われて認知するようになることもある。人やメディアを通して、「呪い」を確信するようになる道筋や状況が、現代ロシアにはある、と藤原氏は締めくくった。