明日のことを心配して、夜眠れなかったという経験を何度もしたことがあります。明日になって、心配したことが起こらなかったこともありました。また、明日になって、心配したおかげで、その事に十分備えることができたので、余裕を持って対応できたこともあります。
良い心配と悪い心配があるのではないでしょうか。悪い心配は、夜も眠れなくさせてしまいます。しかし、良い心配は「備えあれば憂いなし」といわれるように、良き備えをすることにつながります。
大切なことは、人生の同伴者であるイエス様を信じ、認め、委ねることです。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:5、6)
そして、明日に備えることです。備えたら、明日への心配を神に委ねましょう。明日の心配を、神への信頼に変えることです。イエス様は、こう語られました。
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。…あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:25、32〜34)
もし心配したいならば、心配は今日のことだけで十分あるのだから、明日になってから心配したらよいのです。明日の心配は、明日になってから。しかし、備えは十分にしましょう。
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