日本聖公会の牧師が、1980年代の数年間、教会に通っていた女性に性的虐待をしていたとして、2005年に最高裁判決で、被害者の女性に損害賠償金500万円の支払いが確定した「京都事件」の対応と責任をめぐり、日本聖公会京都教区の高地敬主教に対し、同教区常置委員会から5月6日付で辞職勧告が出された。
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「京都事件」をめぐっては、最高裁の判決が確定してから10年以上たっても、京都教区の対応と責任をめぐって日本聖公会の中で疑問の声が上がっており、昨年5月には同教区常置委員会の名前で「謝罪」「謝罪に添えて」という文書(全文はこちら)が発表された。
しかし、その後も事態は進展せず、今回の「辞職勧告」の提出に至ったとみられる。
今回「辞職勧告」を提出した常置委員会は、『日本聖公会法憲法規』によると、教区主教を補佐するために、信徒3人、教職者3人の6人が選出される、と規定されている。しかし、同第125条では「常置委員会の決議は、教区主教の承認によって効力を得る」と定められており、今回の「辞職勧告」が直接に効力を持つわけではない。しかし、監督制である聖公会において、教区主教に対する辞職勧告が提出されること自体が極めて異例な事態だ。
『聖公会法憲法規』では第207条で「主教についての懲戒申立」に関する手続きが定められている。
第207条(主教についての懲戒申立、審判廷、懲戒の不服申立)
聖公会の教役者または満16歳以上の信徒は、日本聖公会の主教について懲戒の事由があるときは、管区審判廷に懲戒を求める申立をすることができる。
「京都事件」の経緯と、「辞職勧告」が提出された背景について、日本聖公会京都教区のホームページや、取材によって得た資料を元に振り返る。
「京都事件」とは?
「京都事件」は、日本聖公会の奈良県にある教会の原田文雄元牧師が、1980年代の数年間、教会に通っていた女性に対し、恒常的な性的虐待を行っていた事件だ。被害者は少なくとも4人に上る。原田元牧師は「誰にも言ってはいけない」「大人になるために大事なこと」などと言い含め、被害者の女性の自宅や教会で性的な虐待を行っていた。
このうち、当時小学校4年から中学生の頃にかけて被害を受けていた女性Aさんは1998年、テレビなどの報道でほかの性的虐待のニュースを見て、自身が虐待に遭っていたことに気付き、精神的、肉体的な苦しみが始まり、診療機関でPTSDと診断された。2001年には大量服薬で入院し、一命をとりとめた。
2001年4月にAさんの父親が、京都教区の武藤六治主教(当時)と面談して被害を訴え、原田元牧師の退職要望書を渡した。京都教区はこれを受け取り、一度は原田元牧師の退職を決定したが、同牧師は被害者からの訴え書を読み「こんなことはしていません」と否認に転じたため、5月には退職の判断が翻された。
Aさんは2001年6月に原田元牧師を相手取り、奈良地方裁判所にPTSDの損害賠償請求を求め、民事訴訟を提訴した。03年に武藤主教が定年で退任し、現在の高地敬主教が就任した。
2004年の一審では、原告の訴えは退けられたが、05年3月の大阪高裁判決では、Aさんの訴えを認め「被告が牧師として女性から尊敬されていることを奇貨として、女性が小学校4年から中学校を卒業するまでの長期間にわたって、教育的な意味を持った行為であると偽って、自らの性欲のはけ口として性的虐待を加えたという極めて陰湿かつ悪質な事案である」「女性はこれにより、貴重な青春時代を犠牲にさせられ、PTSDに罹患(りかん)し長年にわたって精神的に苦しんできており、甚大な精神的苦痛をこうむった」として、慰謝料500万円の賠償を命じた。
被告側は上告したが、最高裁は同年7月にこれを棄却、原告勝訴で確定した。
最高裁判決後
8月に判決が公表されると、京都教区はこれに対し「判決については驚いているし、裁判には憤慨している」「事実無根だ」と報道に対してコメントした。(12月にコメントを撤回、謝罪)、しかし、新たな被害者が申し出るなど、少なくとも4人の女性が被害に遭っていたことが分かり、9月に原田元牧師は陪餐停止処分となり、牧師の職を退いた(3月末に教会附属の幼稚園園長の職も退き、退職金700万円が支払われている)。
さらに、2009年の教区審判廷、管区審判廷を経て、同年に終身停職処分が下された。
2007年には、被害者Aさんの父親と、横浜教区の鎌田司祭が代理人契約を交わし「和解のための三条件」が提示された(後述)。しかし、その後もこの「和解のための三条件」は満たされていない。教区から被害者の女性に届く正式な謝罪はなされておらず、事件の経緯やその対応をめぐって、日本聖公会の中では武藤前主教や高地主教などに対する疑問や責任を問う声が強く残っている。
昨年5月には、京都教区常置委員会の名で「謝罪」「謝罪に添えて」という文書(全文はこちら)が公表され、その中でも教区主教の責任について厳しい表現で触れられている。
そして、今回の京都教区常置委員会による高地主教への「辞職勧告」が提出された。
(「京都事件」年表)
1980年 原田文雄元牧師、奈良県高田基督教会に赴任。
1983年ごろ 数年間にわたって数人の子どもに対して性的虐待を行う。
1998年 被害者Aさんがテレビでほかの性的虐待事件の報道を知り、精神的肉体的苦しみが始まる。
1998年~ Aさんが父親に状況を訴え、奈良県警の窓口に相談して保健センターでPTSDと診断される。
2000年1月 原田元牧師の妻、被害者から電話を受け、性的虐待を受けてきたことを聞く。
2001年4月 Aさんと父親が原田元牧師の退職要望書を武藤六治主教(当時)に渡す。教区臨時常置委員会、原田元牧師の退職を決定するが、同牧師が被害者女性の訴え書を読み、否認に転じ、退職を拒否。
2001年5月 原田元牧師は武藤主教と共にAさんの父に会い、退職願不受理を告げる。原田元牧師は祭壇に復帰、神学校教授、幼稚園園長などを継続する。
2001年6月 被害者Aさん、PTSD損害賠償請求を奈良地裁に提訴。
2003年3月 武藤主教定年退職。
2003年9月 高地敬氏が京都教区主教に就任。
2004年9月 奈良地裁で第一審判決、原告敗訴。
2005年3月 大阪高裁で第二審判決、原告勝訴。
2005年7月 最高裁、上告棄却。原田元牧師の敗訴確定。
2005年8月 判決公表、テレビ、新聞の報道に対し、京都教区は「判決は事実無根」と主張(12月にコメント撤回と謝罪の記者会見)。
2005年8月 新たな被害者Bさんが申し出る。
2005年9月 臨時常置委員会、原田元牧師の役職解任、陪餐停止。退職願を受理、退職決定。高地主教、別の被害者Cさんから聞き取り。
2005年10月 高地主教ほか、被害者Aさんと父親に数回会い、関係者と面談、聞き取り。
2006年4月 教区にセクシャル・ハラスメント防止・相談委員会を設置。
2007年2月 被害者Aさんの父親と、横浜教区の鎌田司祭が代理人契約を交わす。「和解のための三条件」が提出される。
2008年7月 京都教区審判廷に対し、原田元牧師の懲戒(終身停職)申し立て。
2010年11月 管区審判廷。原田元牧師に終身停職処分。
2015年5月 京都教区常置委員会名で「謝罪」「謝罪に添えて」が「聖公会新聞」などで公表(全文はこちら)。
2016年5月 京都教区常置委員会により「辞職勧告」が送付される。
「辞職勧告」で指摘された、教区主教による「二次加害」と「責任」
今回の辞職勧告(関連記事)の中では、京都教区の高地主教が、事件後「二次加害を行ったこと」「教区主教としての責任を果たし得ていないこと」が理由として挙げられ、4点が指摘されている。
① 2005年8月26日、最高裁判決公表時に、判決に対して抗議のコメントを指示し、被害を受けた方や関係者を傷つけたこと
最高裁で原告勝訴が確定したのち、京都教区は「判決については驚いているし、裁判には憤慨している」「事実無根だ」とコメントした(同年12月にコメント撤回と謝罪の記者会見が行われている)。最高裁で被害者の女性が勝訴したにもかかわらず、公式の場でのこのような発言が被害者の女性に“二次加害を与えた”と指摘されている。
② 2003年の教区主教就任時から2005年までの間に、被害を受けた方から十分な聞き取り調査を行わないなど、教区主教としてなすべき務めを果たさなかったこと
高地主教は、一審が進行中だった2003年3月に前任の武藤六治主教が定年で退任し、9月に新主教として就任した。しかし、その後の裁判において、被告の原田元牧師と弁護士の会合に同席するなど、一貫して加害者の側に立ち続けたことなどが指摘されているとみられる。
③ 2005年最高裁判決以降の「京都事件」に関する対応が不備不誠実であったこと。そのため、被害を受けた方や関係者をさらに傷つけたこと
④ 2005年の最高裁判決への抗議コメント(注:上記①)撤回の後も、教区として被害を受けた方々に届く謝罪を実現できず、被害を受けた方々の苦しみを長引かせ、教区内外を混乱させたこと
この2点は、2006年に最高裁で判決が確定してから10年以上がたちながら、いまだに京都教区が被害者の女性に対して、教区として被害者に届き、受け入れられる謝罪がなされていないことが指摘されている。
2007年、被害者の女性の父親は代理人を通じて「和解のための三条件」を提出した。
和解のための三条件
1)(事件が発覚した際に原田元牧師から聞き取りを行っていた当時の京都教区の)武藤(前)主教(2003年に定年で退任)と、古賀久幸司祭が教育界および教会勤務から離れること。ただし、教会附属福祉施設は可とする。
2)(注:2001年当時京都教区が原田元牧師の)加害を認めたにもかかわらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書化すること。(当時の)詳細な討議内容を提示すること。
3)上記の条件が満たされたと代理人が判断した上での、謝罪訪問。
しかし、いまだにこの2つの条件を満たした上での教区による謝罪が行われておらず、裁判確定から11年を経ての対応と責任が指摘されている。
なお昨年5月に京都教区常置委員会の名で「謝罪」「謝罪に添えて」という文書が発表された。この文書は「聖公会新聞」「キリスト新聞」「クリスチャン新聞」などに掲載された。これらの文書の中でも、高地主教の責任について触れられている。(続きはこちら>>)