アッシジ2 サンタ・キアラ教会と街
訪問 2016年5月21日(土) 建設 1257~60年
聖フランシスコと共に働いた聖女キアラ(クララ)の教会
聖フランシスコ大聖堂からアッシジの街並みを見ながら15分ほど歩くと、キアラ教会がある。聖フランシスコ大聖堂を模したゴシック建築で、外側の14世紀末の3つのアーチ(構造フライングバットレス)が印象的。紅白の石造りのストライプ模様はイスラムの雰囲気を感じる。後陣には四角い鐘楼もある。
聖フランシスコは小鳥にも説教をしたといわれる。アッシジの道を歩くとき、木立の間から小鳥の声が聞こえてきた。さえずりが何かを語り掛けている。美しい旋律の歌声のように青空に響いた。小鳥と心の中で話ができた不思議な出来事。
聖キアラ
アッシジの名門貴族の家に生まれたキアラ(「輝く」の意)は、ある時聖フランシスコの説教を聞き、これこそ自分に対する神のご意志であると知った。身をささげ、主イエスやフランシスコのように働き、祈り、平和と喜びのうちに生活しようと決心し、両親の許しを得られなかったため夜秘かに家を出た。
ポルチウンクラの礼拝堂で待ち受けていたフランシスコ会の兄弟たちに、キアラはそのきらびやかな衣装を渡し、粗い毛織の修道服を受け取り、宝石をちりばめた帯を、結び目のある粗い縄と取り替え、美しい刺繍で飾られた靴の代わりに、素足に木のサンダルを履いた。そして、黄金の髪が落とされ、厚い黒の被り物をかぶった。
アッシジ一帯の若い娘たちが同じ道を選び、キアラの妹アグネスも加わり、世俗と隔絶した清貧の共同生活が始められた。その後聖フランシシコの要請で女子修道院長となり、自ら病人を看取り、率先して働き、修道女たちによい手本を示した。
40年余の修道生活を祈りと強い意志で神と共に生き、1252年サン・ダミアーノ女子修道院でこの世を去った。キアラは1255年アレクサンドル4世によって列聖された。
(巡礼の旅の資料より抜粋)
アッシジの街
わが巡礼団の神父5名(全て外人)のうち、左からニコラウス神父(フィリピン)、アンリ神父(コンゴ)、ガブリ神父(カナダ)。
T(タウ)は、ヘブライ語のアルファベットの最後22番目の文字。聖フランシスコが手紙などで好んで使っていたタウが、アッシジ十字架となった。
コムーネ広場
サン・ルフィーノ大聖堂
アッシジの守護聖人ルフィーノ司教をまつるドゥオーモは、ロマネスク様式の最高傑作。ジョバンニ・ダ・グッビオ作(1140年)。
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