ロレート Loreto「聖なる家の巡礼聖堂」
聖母マリアをまつる聖堂
訪問 2016年5月20日(金)
イエスがマリア、ヨセフと共にナザレで暮らした家「サンタ・カーザ(聖なる家)」の壁で作られた聖堂。「ロレータの聖母」と呼ばれる黒いマリアの像があり、世界中から巡礼者が集まる。
入り口を入り、奥に進むと、聖家族の家の壁でできた聖堂があり、ロレートの聖母像(黒いマリア)がまつられている。
「ロレートの聖なる家は、聖母にささげられた全ての巡礼聖堂の中で世界的に第一のものであり、キリスト教における聖母マリアの、まことの中心地であります」(ヨハネ・パウロ2世)
前日のサンジョバンニ・ロトンドから330キロ。ゆるやかな緑の草原、ぶどう畑、村の家々、美しい景色が広がる。バスはカーブした狭い坂道を、満員の乗客を乗せウンウンうなるように上り、やっと丘の上の聖堂に到着。
サンタ・カーザの壁を包む上張りは、イタリア・ルネサンス時代の名高い芸術家ブラマンテの大理石彫刻で覆われている(1507年ごろ)。
伝説によれば、13世紀に十字軍が決定的にパレスチナから追放されたとき、聖家族の家の石造りの壁の部分(図1)が、イリリア(現在のクロアチアのテルサット)へ移された。その後、天使たちが家をイタリアへ運んだ。その地がロレートであったという。
考古学的資料では、サンタ・カーザが構造および石の材質からみても、イタリア・マルケ地方のものではないこと、石の上に刻み込まれた数多くの掻き絵もユダヤ-キリスト教的な根源を明白に示すもので、ナザレで発見されたものとよく似通っている、など興味深い。
幼子イエスを抱いた聖母像は、1921年の火災により焼失したが、ローマ教皇が修復を命じ、バチカン庭園に植えられていたレバノン杉から新たなマリア像が作られた。
ロレートの聖なる家と日本のカトリック信者には古くから関係があり、フランシスコ・ザビエルは聖なる家から日本への宣教に旅立った。
1582(天正10)年、九州のキリシタン大名大友宗麟の名代として4人の13~14歳の遣欧少年使節(伊東マンショら)がイエズス会の神父に連れられて渡欧、ローマ教皇にも謁見、評判を得て各地(ロレートも)を訪問し、歓迎を受けた。
4人は1590年にそろって帰国したが、日本はキリシタン禁令中で迫害に遭い、1人はのちに棄教、後の3人は司祭になったが穴づりの刑で殉教したり、マカオへ追放されたりして死亡している。
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