イスラエルの顕著な考古学的発見が、旧約聖書に登場するが、その起源がまだはっきりと分かっていないペリシテ人のミステリーを解明できるかもしれない。
雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」によると、ペリシテ人の墓地が、紀元前12~7世紀の間に栄えた主要なパレスチナの都市、古代アシュケロンの城壁の外側に広がるイスラエル南部の海岸で見つかった。
墓地には211体を超える遺骸が残されており、紀元前11~8世紀のものとみられている。
この発見が重要なのは、ペリシテ人の起源を研究する研究者らによると、これまで多くのペリシテ人の都市や人工遺物は発見されているが、人骨が発見されることはほとんどなかったからである。
米ホイートン大学のダニエル・M・マスター教授(考古学)は、「私たちは、何十年もペリシテ人が残したものを研究してきましたが、ついにペリシテ人自身と対面したのです」と語った。AP通信によると、マスター氏は「この発見で私たちは、ペリシテ人の起源の秘密をほぼ明らかにできます」とも語った。
マスター氏によると、この墓地は実際には3年前に発見されていたが、考古学者らは、超正統派のユダヤ人からの反発を懸念して公式に発表していなかったという。「私たちは、長い間、口を閉ざしていなければなりませんでした。これまで超正統派ユダヤ人は遺骸を乱す行為に対して抗議してきたからです」
調査隊のリーダーの1人で建築家のローレンス・スタガー氏は、この遺骸がペリシテ人についての多くの疑問に答えてくれると述べている。
「ペリシテ人は評判がそれほど良くありませんが、この発見が多くの悪い神話を払いのけてくれでしょう」とスタガー氏は言う。
ナショナル・ジオグラフィックは、ペリシテ人が旧約聖書で最も悪名高い部族の1つと見られており、イスラエル人と戦ったイスラエル南部の海岸地帯とガザ地域を支配していた無割礼の部族として記載されていることに言及している。
ペリシテ人はまた、イスラエルの「契約の箱」を一時奪い取ったと信じられており、たとえば、サムソンの髪の毛を切ることで彼の力を奪ったデリラや、ダビデに打ち倒された巨漢ゴリアテのような悪役的キャラクターを生み出すことになった。
生物学的距離の測定と同様、DNA分析と同位体分析も墓地の中の人間の起源を決定するために実施される。
ナショナル・ジオグラフィックによると、多くの研究者らは、ペリシテ人が、青銅器時代後期の終わり頃に東地中海を奇襲していた部族連合の「海の民」と結び付いている可能性がある、と考えている。
他の専門家、たとえば、ペリシテ人の主要都市ガテで20年にわたり発掘をした、バルイラン大学(イスラエル)のアレン・メイア教授(考古学)は、ペリシテ人の起源はまだまだ謎のままだと述べている。
メイア氏は、ペリシテ人は当時各地域にいたカナン人と雑婚していく中で、地中海諸地域の多様な民族の「からまった」文化を持つ民族になった、と示唆している。
イスラエルのハイファ大学の考古学教授でテル・カブリ遺構の発掘共同監督を務めるアサフ・ヤスル・ランドー氏は、「ペリシテ人の墓地の発見によって、ペリシテ人の遺伝的起源と多文化交流に関する多くの謎が提起された。これは素晴らしいことだ」と語っている。