イスラエル考古学庁(IAA)によると、イエス・キリストが生まれる前に使用されていたとみられる希少価値のあるユダヤの銀貨がイスラエルで発見され、古代ユダヤ人の居住地に対して新しい洞察を与えることが期待されている。
発見されたのは、紀元前約126年のものと推定される銀製の硬貨で、発掘現場の監督アブラハム・テンドラー氏によると、「やがて自分のお金を取りに戻りたいと望みつつも、不運にもそれを果たせなかったユダヤ人の所有物だろう」と考えられている。
硬貨は、イスラエルのモディーン地区で、新市街地の建設が開始する前に行われていた掘削作業中に岩の裂け目の中から見つかった。
テンドラー氏は、「その隠し財産は、(レバノンの)ティルスの町で鋳造され、アンティオコス7世とその兄デメトリオス2世の肖像が刻まれているシェケルと半シェケル(テトラドラクマとディドラクマ)から成っている」と言う。
硬貨が見つかった地域は、歴史的にハスモン王朝期に、ユダヤ人家族によって整備された農業地だったと考えられている。
テンドラー氏はまた、「その家族の人々は近くの丘の上にオリーブの木々を植えたり、ブドウ園を造ったり、谷では穀物を育てたりしていました。オリーブ絞りやオリーブ油の貯蔵所を含む産業地域がその地所の隣で現在発掘されており、その実態が明らかになってきています」と語る。
「そこに住んでいたユダヤ人は、清さと汚れを規定する儀式の律法を細心の注意を払って守っていました。住居内に儀式用の浴槽(ミクウェオット)を設置し、律法で儀式的に汚れのないとされる白亜で作られた器を使っていました」
その地域では、防壁やそれらを築くために使用された地下トンネル、大きな石の集まりも発見されており、その地が紀元66年のローマに対する最初の暴動に関わっていたことを暗に示している。またこれらの発見物は、その場所が紀元70年の神殿崩壊後も引き続き機能していたことをほのめかしている。
テンドラー氏は、「その地域の住民は、ローマからの独立を獲得するという希望を諦めることなく、バル・コクバの乱(132~135年)において敵と戦うためによく備えていたと思われます」と話す。
これらの発見物は保存され、イスラエル考古学庁は、新市街地の話題のスポットとなるだろうと語っている。