私はチャーリー・チャップリンの映画にいつも感動してきましたが、中でも無声映画の「街の灯(City Lights)」が最も忘れられないものです。ご存じの方も多いでしょう。
主人公は街の浮浪者の男チャップリンです。男はある日、盲目の花売り娘と出会い一目ぼれしてしまいます。浮浪者の男は花売りの娘から花を買って紳士を装っていました。彼は彼女を助けようとできる限りの献身をするようになりました。
ある日、娘とその祖母が家賃滞納のため立ち退きを迫られていることを知った男は、娘を助けるためにお金を工面しようとするが、うまくいかず、とうとうボクシングに出場するまで努力をしたけれど、あえなく敗れてしまいます。
途方にくれた男は偶然、以前の知り合いの富豪と再会し、彼から1千ドル受け取ることができました。ところが男は泥棒と間違えられて警察に追われる身となります。
男は逃亡して、翌日、花売り娘に家賃と目の手術代として1千ドルを手渡し、握手してその場を立ち去りました。その後すぐ警察に無実の罪で捕まり、刑務所に入れられてしまいます。
時は流れ、刑務所から出た男がとぼとぼと歩いていると、目の治った花売り娘と再会するのです。娘は自分を助けてくれた恩人は金持ちの紳士だと思い込んでいるので、まさかこの浮浪者が恩人だとは思いもよりません。
そのまま立ち去ろうとする浮浪者の男に彼女は憐れみを感じ、ひと束の花と小銭を手渡そうとするのです。彼女の手が男の手に触れたその時、娘は初めて気付くのです。そして恐る恐る尋ねます。「あなたが・・・?」
男は「Do you see now?」と聞き返します。この言葉には二つの意味が込められています。「目が見えるようになったのですか」という意味と、「私が分かりますか」という意味です。
娘は「Yes, I see now.」と答えます。娘は「はい、目が見えるようになりました。そして、あなたがその人であることが分かりました」という意味をその言葉に込めたのでした。
「見える」と「分かる」という二つの意味を持つ英語の「see」という言葉を絶妙に用いたラストシーンは、いつ見ても感動を覚えます。キリストは「私を見た者は、父を見たのです」と言われました。キリストを通して神を知り、理解し、わずかでも神のご愛が分かる者にしていただけるとは、なんという感動でしょうか。
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