過日、イギリスの作家チャールズ・ディケンズの小説『デイヴィッド・コパフィールド』を映画化したものをDVDで見る機会がありました。最初、あまりにも古くて誰もこれを見ている人はいないだろうな、と思っていましたが、見ていくうちにだんだん面白くなり、最後には「これは素晴らしい作品だ」と妻ともども思うようになりました。
調べてみますと、この小説は1850年に初版が出ていて、チャールズ・ディケンズの数ある小説の中でもこれがベストだと評価している人も少なくないということです。トルストイもこの小説に感銘を受けており、ドストエフスキーはシベリアの収容所でこの小説にのめり込んだということです。
また、この小説はディケンズ自身の生涯を最もよく表していると言われています。すでに読まれた方もおありかもしれません。
デイヴィッド・コパフィールドというのは主人公の名前で、不遇な子ども時代を送ります。父親を早くに亡くし、母親が再婚しますが、義理の父となる人がデイヴィッドにつらく当たり、母親までも早死にした後は、まだ子どもの彼をロンドンの工場に働かせるために出します。
身寄りのないところで、頼りにしていた寮父母も倒産の憂き目に遭い、デイヴィッドはロンドンから子どもの足で200キロも離れているドーバーにいるただ一人の親戚の大伯母を訪ねて歩くのです。
衣服もぼろぼろになって大伯母のところにたどり着き、変わり者で厳しい大伯母でしたが、優しいところもあって、デイヴィッドはやっと人の真実に触れるのです。そこから小説はありとあらゆる人間模様を描いていきます。
謙虚に振る舞っているようで実は裏心と野心を持つ人、欲望に勝つことができなくて人妻を奪い取る人、経済に関しては弱いところがあるが人情にあつい人、結婚する前は優しい人を装うが結婚してしまうと暴君になる人、外面的には厳しくて近づきがたいけれど本質的には優しさを秘めている人、美しくて優しいけれど実生活にはナイーブな女性、などなどが出てきます。
デイヴィッドはこれらの人間に出会いながら人生を学んでいくのです。これほど深く広い人間理解をしている作品が今日あるだろうか、そんな思いにさせられました。ディケンズは人間の外面や表面に惑わされずに内面の真実や美しさ、思いやりなどを大切にしていきたいと思っていたのではないかと思います。
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