日本メノナイトブレザレン教団(日本MB)は19日の教団協議会で、「日本MB信仰告白」の全面改定を決議した。審議委員長を務める武田信嗣牧師(武庫川キリスト教会)は、「最近の福音派の聖書信仰の枠内での告白であることには変わりがないが、従来の福音派色の強い信仰告白から、再洗礼派を源流とするメノナイトの流れを踏まえつつ、聖書的・宣教的・平和的という日本MBの三つの特色を前面に出した新しい信仰告白となっている」と説明する。
今回の改定に至った背景には、2003年に「メノナイトブレザレン国際委員会」(ICOMB)が発表した「ICOMB信仰告白」がある。ICOMB信仰告白は、ICOMBが任命した作成委員会が、世界各国のMBとのやりとりを通して完成させた二部構成のもの。
第一部は、神の創造、人間の堕落、神の再創造を扱い、「神はこの世界でどのように御業をなされるか」の問いに答える説話形式になっていることが大きな特徴となっている。第二部では「MB はいかに神の目的に応答するか」の問いに答え、教会が「聖書の民、新しい生き方の民、契約による共同体の民、和解の民、希望の民」であるという五つの中核的な真理が述べられている。
日本MBでは、1990年代から「あまりにもメノナイトの要素が少ない」と日本MB信仰告白に対する気付きがあった。また、2000年の「日本MB50周年大会」以降、教団の全ての領域で発想・考え方の転換が起き始めており、教団が一致を保つためには、その拠り所となる信仰告白の改定が、大きな必須課題であると考えられるようになった。
その刷新の流れの中で、ICOMB信仰告白の発表が一つの契機となり、日本MBは信仰告白を審議委員会主導で改定すること、また、空文化させないための継続的な啓蒙・教育活動を行っていくという方針を固め、解説書を発行するなどして少しずつICOMB信仰告白に慣れ親しむと同時に、2006年からは日本MB信仰告白の改定作業に取り組んできた。
今回改定された日本MB信仰告白は、ICOMB信仰告白を全面的に採用し、日本MB50周年大会において確認された、日本MBの初期からの三つの柱「聖書的・宣教的・平和的」で内容を再構成したものとなっている。
武田牧師は、改定された信仰告白について「メノナイトアイデンティティーだけで作られたのではなく、また今までのような一般福音主義の信仰告白とさほど変わらない福音派アイデンティティーだけで作られたのでもない、それぞれの軸を尊重した内容になっている」と話した。
さらに、日本MBの66年の歩みの中で、今、改定が行われた意義を「一般のプロテスタント教会から排除された歴史を持つメノナイトの長所、短所から学ぶことのできる今だからこそ、そして福音主義の側も揺れを経験している中で長所、短所を学ぶことのできる今だからこそ、意義あることではないか」と語った。
「日本メノナイトブレザレン信仰告白」の全文は以下の通り。
日本メノナイトブレザレン教会 信仰告白
日本メノナイトブレザレン教会(Japan Mennonite Brethren Church/日本MB教会)は、キリスト教会が保持してきた神学、メノナイトの歴史と伝統、宣教地の現実を踏まえて、神の目的への応答として以下を告白する。
第一部 神による救済の物語
全てのものの主である神は、ご自身の力あるみことばによって天と地を創造された。神は人を神のかたちに創造し、男と女とに創造された。人は神と交わりを持ち、被造物全体の管理を神から委ねられた。しかし、人類は彼らの自由意思を悪用して不従順となり、神に反逆した結果として神との交わりを失い、死ぬべき者となった。人類が神の支配に反逆したので、サタンと罪と死の力が世界を支配することになった。
救いの神は、イスラエルから始まる契約の民を起こそうと行動された。神のご計画は、神との調和のとれた関係に生きる契約の共同体を形成し、彼らが神の祝福を体験し、世の光としてすべての国々の民に仕えることであった。神は預言者たちを通してご自分の律法と目的を伝え、ご自身の永遠の真実、公正、正義を示された。神は新しい創造の希望を約束された。
父なる神は、処女マリヤを通し、御子イエス・キリストを人としてこの世界に遣わされた。イエスは神の国・神の支配を開始し、悔い改めを宣べ伝え、抑圧されている者たちの解放と貧しい者たちへの良きおとずれを告げ、イエスの道に従う新しい共同体として弟子たちを召された。イエスは私たちの罪を贖うために、そして全世界を神と和解させるために、十字架の死を受けられた。神はイエスを死人の内よりよみがえらせ、ご自分の右の栄光の座に着かせられた。イエスはそこで聖徒のためにとりなし、永遠に支配しておられる。このようにして、イエスは罪と死とサタンに対して圧倒的な勝利を得られた。
ペンテコステの日に神は聖霊を遣わされた。聖霊は神の創造のみわざに参与し、預言者たちに力を与え、聖書を霊感された。聖霊は教会を建て上げ、神の支配を宣言し、新しい創造を証しされる。神の御霊はキリストを信じるすべての者に注がれる。彼らは聖霊のバプテスマを受け、神の子どもとして聖霊の証印が押されている。イエスを主と信じ告白するすべての者はキリストにあって新しく生まれた者である。このような信者は水のバプテスマを受け、新しい契約の共同体である教会に加わる。彼らは、対立や争いの中にあっても、神の平和と愛を実践する。
教会は神の新しい創造であり、神の世界変革の主体となり、人類に対する神のご計画を示す模範となるように召されている。神の民はすべての人に悔い改めと回心を呼びかけ、正義を促進し、苦難の中でも忠実であり、困窮している人々に寛大に分け与える者である。彼らは和解の使節として行動し、罪によって傷ついた関係を修復する。聖餐式において、教会は主の死を告げ知らせ、キリストにある新しい契約を祝う。
新しい創造はキリストが再臨するときに完成する。キリストにある死者は新しい肉体を持ってよみがえり、キリストを拒んだすべての者とサタンは最後の審判を受ける。新しい天と地は神の支配の下に保たれ、とこしえの平和と喜びが伴う。
〔参照聖書箇所〕創世記 1-3 章; 12:1-3; 出エジプト 6:6-8; 詩篇 8 篇; イザヤ 49:6; エレミヤ 9:23-24;31:31-34; ホセア 2:19-20; マタイ 4:17; 25:46; マルコ 8:34-38; ルカ 4:18-19; ヨハネ 3:16; 使徒 2 章; ローマ8章; Ⅰコリント 11:23-32; 12-13章; 15章; Ⅱコリント 5:17-6:2; エペソ1:13-14; 2:8-10; 6:10-12; コロサイ 2:12-15; Ⅰテサロニケ 4:13-5:11; Ⅱテモテ 3:16-17; ヘブル 7:25; 黙示録21-22 章
第二部 日本メノナイトブレザレン教会はいかに神の目的に応答するか
A 日本MB教会は「聖書の民」である
1. 聖書の性格
旧新約聖書は権威ある神のことばであり、信仰と生活の誤りない指針である。聖書は解釈され、理解され、伝えられ、宣言され、人々を変革する。
2. 聖書解釈の基盤
聖書解釈の基盤は、新約聖書に示されたキリストである。それは、イエスの生涯・死・復活を通して明らかにされた神の価値観に基づいて聖書を解釈することである。
3.聖書解釈の共同体
すべてのキリスト者に聖書は開かれている。それは、個々人で聖書を読み、また教会の人々とともに聖書を読むことを意味している。聖霊の働きと適切な方法によって、聖書を読み、理解し、従い、適用し、聖書の真理に生きることが期待されている。
〔参照聖書箇所〕詩篇1篇; 19篇; 119篇; マタイ5-7章; ルカ24:27, 44-48; 使徒2:42; 15:1-29; 17:11; Ⅱテモテ 3:14-17; ヘブル 1:1-2; Ⅰペテロ 1:10-12
B 日本MB教会は「宣教の民」である
1.宣教の担い手
a.神によって召された教会は、聖霊の助けと導きによって宣教を遂行する。教会は、自らの意思でキリストを信じ従う決断をし、回心と新生とを経験したキリスト者によって形成される。教会は、キリストを救い主として自ら告白した人々に水のバプテスマを授け、教会の交わりに加える。教会は、聖餐を執行し、キリストを通して完成された神による救済を記念し、感謝し、告げ知らせる。また、教会は聖餐を通して、キリストを信じる人々の一致・和解・平和を具体的に示す。
b.教会は契約の共同体であり、キリスト者はともにキリストの教えに従い、礼拝し、祈り、交わり、他者への奉仕、教育、兄弟愛を実践する。キリスト者は互いに責任を果たし合う。神の前に責任ある歩みをする目的は、罰したり、非難したりすることではなく、悔い改めに基づくいやしであり回復である。しかし、教会の懲戒をかたくなに無視し続ける者は、教会の交わりから除外される。
c.宣教の担い手である教会は、神のしもべとして指導者たちを任命する。教会の指導者たちは宣教と奉仕とのために聖徒をキリストの弟子として整える。
2. 宣教の対象
宣教は、神を信頼しない、神に反逆するこの全世界(被造物)を対象にする。創造の神はこの世界を支配しつつ、この世界が神の意思に適って変革されるように願っておられる。
3.宣教の働き
a. 宣教は、神の本質である。それゆえに宣教は、教会にとって本質であり使命である。宣教は、イエスが「神の国」と呼んだ状況・状態・現実を生み出し、神の価値観をこの世界に浸透し、拡大し、実現する。神の民である教会は、聖霊の助けによって、キリストを通して人々を神との正しい関係に導く。教会は、人々を愛して彼らに仕え、人々の全人格的な必要に応える。
b.宣教は、神によって等しく受け入れられているキリスト者が互いに尊敬し合い、互いの違いを尊重し、協力し合って行われる。教会はキリスト者をその弟子として相応しく整え、宣教の働きへと派遣する。
〔参照聖書箇所〕マタイ 5-7 章; 9:12-13; 18:15-20; 28:18-20; ルカ 4:16-21; ヨハネ 3:16; 13:34-35;16:8-11; 使徒1:8; 2:41-42; ローマ 6:3-4; 8:18-25; 12:3-8;Ⅰコリント 10:16-17; 11:23-26; 12 章; 14:26; エペソ 4:11-16; ピリピ 2:1-4; コロサイ 3:12-17; Ⅱテモテ 2:2; ヘブル 10:24-25; Ⅰペテロ 4:10-11; Ⅱペテロ 3:9
C 日本MB 教会は「平和の民」である
1. 平和の性格
a. 教会は、平和作りに召されている。教会は、神と人間との和解、人間同士の和解のためにキリスト者としての務めを果たす。また、神の考えの実現によって人々は平和を経験する。
b.平和のモデルは、イエスの生涯・十字架による死・復活である。神に従ったイエスは、暴力を用いずにこの世界の暴力・憎しみ・搾取・無関心・遺棄を克服し、人々に和解をもたらし、平和のあるべき姿を示した。キリストに倣いその弟子であろうとする者は、キリストが作ろうとした平和を希求する。
2.平和の範囲
a.神と人間との平和は、人間の霊的救済によってのみ実現するのではなく、その全人格の救済によって実現する。また神と個々人との平和だけでなく、神と社会との平和も実現される。
b.人間同士の平和は、人々の内面、家庭生活などの個人的生活、人々が暮らす社会や地域、人々が属する組織、人々を支配する国家、それぞれの領域に及ぶ。
3.平和の視点
a.平和は、人間による支配の視点からは生まれない。神は、少数派の人々、支配された人々、周縁に追いやられた人々に目を注がれる。それは、聖書の証言であり、再洗礼派はじめ多くのキリスト者の経験の証言である。
b.キリスト者は秩序としての国家・地域社会・所属組織を認め、それらに対して責任ある態度を示さなければならない。同時に、キリスト者が示す忠誠の究極的対象はキリストご自身であることを確認する。
4.平和の希望
この世界は争い・貪りによって自らを苦しめ、迫害によって教会を苦しめる。教会は、主の再臨において神の平和が実現する希望を持ち、その希望を伝え、忍耐しつつ神の使命を果たす。
〔参照聖書箇所〕箴言3:1-2; マタイ5-7章; 9:10-13; 10:16-37; 24-25章; マルコ12:13-17; ルカ1:46-55,67-79; 2:13-14; 4:16-19; ヨハネ 14:27; 15:18-27; 使徒 4:19-20; 10:36; ローマ 5:1, 8-11; 12:17-13:10;14:19; Ⅰコリント 15:20-58; Ⅱコリント 5:17-6:2; エペソ 2:11-22; 4:1-3; 5:21-6:9; 6:15; ピリピ 4:6-7; コロサイ 1:19-23; 3:12-15; Ⅰテモテ 2:1-6; Ⅱテモテ 3:12; テトス 2:11-14; ヤコブ 2章; 3:17-18; Ⅰペテロ2:13-17, 21-25; Ⅱペテロ 3:8-13; 黙示録20-22 章