死がほとんど確定していたイスラム教徒1500人の脱出を助けてかくまったあるカトリックの司祭が、賞金100万ドル(約1億1千万円)の平和賞の候補になっている。2013年、ベルナール・キンヴィ神父は、中央アフリカ共和国の残酷な分派間の暴力から逃亡したイスラム教徒のための場所としてその教会を解放した。
中央アフリカ共和国は、2013年3月にイスラム教徒が多数を占める武装勢力「セレカ」がクーデターを起こし、当時のフランソワ・ボジゼ大統領を追放してから暴力が蔓延(まんえん)している。セレカは解散したが、元メンバーが国中の町や村を襲撃し続けており、それによってキリスト教徒による反対派「アンチ・バラカ」の勃興を引き起こしていた。アンチ・バラカはイスラム教徒を襲撃し、虐殺し、家やモスクを破壊した。
セレカもアンチ・バラカもそれぞれの宗教の中で浮き上がり、国内のイスラム教とキリスト教双方の指導者は一致してこの対立を非難した。
アンチ・バラカによる最も暴力的な襲撃は2014年初頭に、国の北西部の町で起こった。トーゴから宣教師として派遣されているキンヴィ神父は、そこでカトリック学校の病院を運営していた。80人以上のイスラム教徒が殺害され、キンヴィ神父は何日も生存者を探し続け、発見しては安全のために教会まで運んだ。
「これは決断ではありません。ただ起きたことです」と、後にキンビ神父はガーディアン紙に語った。「司祭として、私は人を殺害することを支持できません。私たちはみな人間です。宗教はそれに関係ありません。もしアンチ・バラカがケガを負って私のところに来れば、私は手当てします。誰であろうと、人生で何をしていようと、宗教が何であろうと、人間ですから、私は世話します」
彼はその行動について、アンチ・バラカから脅迫と侮辱を受けた。彼らは、一時には約1500人にまで上った神父のもとにいるイスラム教徒を殺害すると脅迫した。
しかし、神父はイスラム教徒たちを国境を超えたカメルーンや親族の元へと移送する手はずを整えることができた。2014年3月、アフリカの平和維持活動部隊は残っているイスラム教徒の多くを避難させたが、移送に耐えられないほど弱っている人、子どもと障がい者は教会が保護した。
キンヴィ神父は、「私が司祭になったとき、たとえ自分の命を危険にさらすことになったとしても病者に仕えると約束しました。そう言ったものの、それが何を意味するかを本当に分かってはいなかったのです。しかし、戦争が起こったとき、私は命を危険にさらすことの意味を理解しました。司祭であるということは、ただ人々を祝福すること以上のことで、全てを失った人の側につくことです」と語った。
キンヴィ神父は、中央アフリカ共和国の対立によって信仰を試されたと同時に、信仰が成長したとも述べた。
「私たちの神はいつも、全ての試練の中で共にいてくださるということを、私は格別に経験しました。私の中で働いてくださるのが主だと信じるに至る格別な行動を、私は実行しました。このことから、神が支配しておられることが分かります」とキンヴィ神父。
「私は、愛だけが憎悪の壁を破壊することができることを発見しました。私の病院に来た全ての人に愛を示せたことを神に感謝します。私は、かつて私を殺害すると脅した敵に会い、あいさつするために手を差し出すことができました。この愛に感謝します。愛だけが、世界の憎悪を克服できるのです。そしてこの愛によって、私たちは祈りを通して生きることができるのです。私がこれまでしてきたことをする力をどこで見つけたのかと尋ねる人には、私はただ『イエス・キリストです』と言います。聖体拝領、礼拝、毎日のロザリオの祈り、これらが私の勝利の武器です。私の働きは、信仰、祈り、愛によってより多くの命を癒やすたびに実を結びます」
その働きによって、すでにヒューマン・ライツ・ウォッチの「アリソン・デ・フォージュ人権活動家賞」を受賞したキンヴィ神父は、現在は4月に俳優のジョージ・クルーニー氏によって授与される予定の「Aurora Prize for Awakening Humanity(ヒューマニティーを覚醒させたことに対するオーロラ賞)」の候補の上位に名を連ねている。
この賞は、「他者を生かすために自身をリスクにさらした個人」に与えられる。声明の中でオーロラ賞授賞委員会は、キンヴィ神父は「対立する武装勢力の双方に医療援助と保護を提供し、外での暴力にもかかわらず全ての負傷者のための安全な避難所という彼の使命を遂行したこと」を理由に選出されたと述べた。