2015年6月26日、米国の最高裁が同性婚を認める判決を出したことは、日本でも大きな話題となり、キリスト教会の中でもさまざまな議論を呼んだ。この訴訟を5年間にわたって追いかけたドキュメンタリーが本作だ。
原題は「The Case Against 8」。これは、一度は合憲とされながら、結婚を男女間に限定し同性婚を禁止するとした2008年のカリフォルニア州憲法修正案「提案8号」を指している。これを人権侵害であるとして州を提訴した2組の同姓カップルがこの映画の主人公だ。
そしてこの訴訟の原告代理人として超大物弁護士2人がつく。一人目は保守派の超大物弁護士テッド・オルソン、なにせあのジョージ・ブッシュとアル・ゴアが超接戦となった2002年の大統領選で、最後の州となったフロリダの投票再集計の却下をさせるべく働いたブッシュ陣営の弁護士だったという経歴を持つ。そして、もう1人が、その敵として投票の再集計を求めたゴア陣営の弁護士だったデヴィッド・ボイス。保守派とリベラル派、本来は宿敵同士の2人の超大物弁護士によって全米を巻き込む訴訟が始まることになる・・・。裁判をテーマにしているだけに堅い作品と思いきや、まるでジョン・グリシャムの小説を映画化したリーガルサスペンス「ザ・ファーム法律事務所」を見ているかのような、人間ドラマあり、法廷戦術あり、感動ありで、映画作品としても実に見ごたえがある。
米国という国家の原点が、ピルグリムファーザーズ(米国に渡った英国のピューリタン[清教徒]たち)にさかのぼるユダヤ=キリスト教を原点としていることは、これまで多くのキリスト教研究者によって指摘されている。大統領が就任式の時に、牧師を招き聖書に手を置き宣誓することが象徴的だ。(例えば、森孝一氏は著書『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ)の中で「見えざる国教」と定義した)
同性婚がこれだけ大きな注目を浴びること自体が、米国を動かす根底にキリスト教的価値観があることを如実に表している。
そしてもう一つ、この裁判で鋭く問われているのは「平等」である。原告側代理人の保守派の超大物弁護士テッド・オルソンはこの訴訟を引き受けた理由を、「結婚は誰にとっても平等な権利であるべきだ。幸福追求権、基本的人権の一つだ」と述べている。そして「同性婚を認めることが、より良い米国社会をつくることにつながると私は考える」と述べている。原告の女性であるサンディはこの裁判を提訴した理由を語っている。「普通の人と同じように自分がそのままの自分であることを認めてほしいのです。他人と比べて自分はいつも違う存在だと思わされてきました。それはあらゆるマイノリティーが感じていることなのだと気付きました」
なぜ、そこまで「平等」が論じられるのか。トマス・ジェファーソンが起草した1776年の米国の独立宣言の中には、人間は「平等」であり、「幸福追求権」があるとされている。
「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、全ての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主(神)によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ」(米国の独立宣言より)
これもまた、米国の原点の一つなのだ。だからこそ、この裁判は全米を巻き込む裁判になったことが浮かび上がってくる。
同性婚をめぐる裁判の経過
1993年 ハワイ州の裁判所が「同性カップルに結婚の権利を認めないのは平等原則に反する」という判決を下す。全米では反発が起き、数州で結婚を男女間に限定する法律が制定。
1996年 連邦議会で「婚姻は男女の関係に限定する」という「結婚防衛法」が成立。
2004年 マサチューセッツ州で同性婚が実施される。同時にキリスト教保守派を中心に反対運動が活発に。
2008年5月 カリフォルニア州最高裁「同性結婚を認めないのは州憲法違反」とする判決を4対3の多数決で下す。
2008年11月 同州で、同性結婚を禁止する「提案8号」について住民投票が行われ可決。同性婚は禁止される。
2009年5月 同州最高裁は、「提案8号」住民投票について、「平等な人権を保障した州憲法に違反する」と無効にすることを求めた同性婚推進派の訴えを退け、「同性婚は禁止」とする判決を下す。(一方、この住民投票前に婚姻届を提出した同性カップル約1万8千組の婚姻はそのまま有効とし、法的権利を剥奪することはないとした)
2010年8月 カリフォルニア州サンフランシスコ連邦地裁は「提案8号」は違憲であり、無効とする判決を下す。
2013年6月 連邦最高裁は、同性婚を禁じたカリフォルニア州の法律が違憲だとした連邦第9巡回区控訴裁判所の判決を支持する判断を下す。
2013年6月 サンフランシスコ連邦高裁は、同性婚を禁じたカリフォルニア州法の規定を無効とすることを決め、同性婚賛成は勝訴判決が確定。即日同性婚の受付が再開された。
2014年 オハイオ、ミシガン、ケンタッキー、テネシーの4州を管轄する合衆国高等裁判所が、同性婚を認めない判断を示す。
2015年6月 合衆国裁判所は「法の下の平等」を根拠に、全米で同性婚を認める判決を下す。(9人の判事のうち5人が支持、4人が反対)
米国の裁判の実像
さらに、この映画の見どころは、米国での大型訴訟がどのように進められていくのかを垣間見られることだ。同性婚反対派はテレビのCMキャンペーンで「同性婚を認めると家庭や子どもに良くない影響を与える」と一大キャンペーンを張る。一方、原告側のチームは、歴史学者、発達心理学者、政治学者などをそろえ「結婚」という制度が歴史や社会の中でどのようなものだったか、どう変わっていったかを一つ一つ論証する証言を引き出す。例えば、バージニア州では1967年まで異人種間の結婚は違憲だったが、それが公民権運動の中、合憲とされるようになったことも引き合いに出され、世論にアピールする。
この訴訟が進む数年の間にも、同性婚反対が多数派だった世論調査は、容認派が過半数を占めるようになるなど劇的な変化が起こる。背景には、メディアを使った「法廷の外」の戦いもあったことが分かる。
裁判は最後には最高裁に持ち込まれる。全米が注目するこの判決をめぐって、最高裁はすさまじい熱気に包まれる。大雪の吹雪の中、一週間も前からテントを張って傍聴に詰め掛ける人たちの姿も。その中の1人、長年軍隊に勤めていたLGBT(性的少数者)の女性は言う。「27年間も勤めたけれど、遺族年金をパートナーに渡す権利もないのです」
この裁判は、2組のゲイカップルだけでなく、多くの人の人生を左右することになるのだ。2組のカップルが現れると、裁判所の前に詰め掛けた何百人もの人から自然に大きな拍手が起こる。その瞬間「結婚は男女のものだ!」というプラカードを掲げた反対派の人垣から反対の声が上がる。そして合衆国裁判所は「法の下の平等」を根拠に、同性婚を認める判決を下した。
「他者を知る」ということ
この映画を見ていて最も印象に残ったのは、同性婚を禁止している被告側(カリフォルニア州)の参考人として証言席に立ちながら、裁判を通して最後には同性婚を認めるようになった、ある保守派シンクタンクの研究者の言葉だ。
「私は考え方が変わった。より良いアメリカをつくるためには全ての人に結婚の権利を認めるべきだ。私はこの裁判を通して知らなかった他者のことをより良く知ることを学んだ」
ちなみに、この文章を書いている記者自身は、キリスト教のプロテスタントの主流派教会に所属している。LGBTの知人や友人もいるが、私自身にとってこの問題は身に迫った切実なものではない。(LGBTで性転換をした知人の1人は、それを理由にさまざまな教会で軋轢[あつれき]を起こし、昨年自死した)
キリスト教の教派、所属する教会、個人の考え方によってクリスチャンとしてこのテーマをどう考えるのか、さまざまな捉え方があるだろう。昨年、このニュースをめぐって、ネットでもさまざまな議論を目にした。
しかし、最も大事なことは当たり前なのだが、まずは、自らの考え方と異なると思われる人を「知る」ことにあるのではないだろうか。それには、何が起きているのかをまず知らなければならない。そのためにも、この映画を多くの人に見てほしいと願う。