ウェスレアン・ホーリネス教団は14日、第16回東京新年聖会を東京都新宿区の淀橋教会で開催した。午前10時から午後8時半までに3つの聖会が開かれ、同教団の教職や信徒ら約100人が参加した。午後6時の第3の聖会でウェスレアン・ホーリネス神学院の黒木安信院長が講演し、「祈りが崩れれば教会は崩壊する。祈りの祭壇から溢れる愛が出て行く」と語った。
「溢れる感謝」「溢れる喜び」という主題の午前と午後の2つの聖会に続いて、第3の聖会の主題は「溢れる愛」。3つの主題に共通する「溢れる」という言葉について黒木氏は、「上より、主から満たしていただく。受身、これがとても重要」と語った。また愛とは、自分がすることではなく、「私がどれだけ愛されているのか」を知ることである、と説いた。
パウロは、フィリピの信徒たちへの愛の大きさを、「キリスト・イエスの愛の『心』で・・思っている」と書くことで表現した。単に「愛」ではなく、「愛の心」とした。ここで「心」とは、「はらわた」の意味を持つ。ここからパウロが、はらわたの煮えたぎるほどの熱い愛をフィリピの信徒たちに注いでいたことがわかる。
ではパウロ自身の中から出る愛が、それほど大きなものだったのだろうか。決してそうではない。ただパウロはそれほどまでに、いやそれ以上に自分に限りなく注がれているキリストの愛を感じ、しっかりと受け止めていたのだ。黒木氏は、「父なる神と(自分と)の関係における愛がこれほど熱いものなのか、その十字架につけられたイエスに日々接していけるのか。そのような思いに深まっていけるか。そうであれば溢れるから、他に(愛が)及ばないではおられない」と語った。
キリスト者の愛とは何か。黒木氏は、「キリストの愛が溢れてくださる。私がすることではない。私が愛するのではなく、私がどれだけ愛されているか」を感じ、受け止めること、それは同時に自分の罪を深く知ることであり、「イエスが私を愛し、私を赦し、私を聖めて生かしてくださる、この愛に満たされて生きる」ことだと説いた。
パウロは、フィリピの信徒らのために祈る度に「いつも喜びをもって祈っています」(4)と告白している。パウロの生き様は、いつも祈りに始まり、祈りに導かれ、祈りで結ばれていた。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6〜7)とパウロは語っている。
パウロは祈りの力を本当に信じていた。パウロは獄中にあっても、喜びをもって祈る、この一点にいささかの揺るぎもなかった。黒木氏は、「サタンが真っ先に破壊するのは『祈りの祭壇』。サタンは祈らせないようにする」「祈りの祭壇から、溢れる愛が出て行く」と語り、祈りの重要性を強調した。
黒木氏は、「キリストの日」に思いを向ければ向けるほど、人々の救いを願う思いを強くしたパウロの生涯を語りながら、「御言葉の中に心を向けていくとき、溢れる愛は満たされていく」と説いた。そして「伝道することは愛すること、愛することは伝道すること」「どんなに愛していても、伝道しなければ愛することは完結しない」と語った。
講演後、若い信徒らを中心に、神にその全生涯をささげる決意をした信徒らが講壇の前に進み出て、神と全会衆の前でその決意を表明した。