新約聖書の13の手紙を書いた使徒パウロは、病気を患っていました。自分の病気を「とげ」と呼び、常に苦しんでいました。
「私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです」(Ⅱコリント12:7)
パウロの病気は、目の病気かてんかんであったと推測できます。それが、福音の伝道をするときに嘲弄(ちょうろう)される原因にならないかと、ひどく心配していました。
「ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました」(ガラテヤ4:13、14)
パウロは、神様に「私の体からとげを取り除いてください」と、3度も強く祈りました。しかし、神様はとげを取り除く代わりに、「わたしの恵みは、あなたに十分である」と語られました。
神様に祈った癒やしの祈りの答えは、「イエス」ではなく「ノー」だったのです。
「とげ」とは何でしょう。命を危険にさらすものではありませんが、ひどい苦痛を与え、しかも、絶えず苦しめるものです。
パウロは、自分の肉体の「とげ」さえ解決すれば、すべての問題がなくなるだろうと考えたことでしょう。
しかし、神は、「とげ」を抜くことをお許しになりませんでした。
願ったことがかなえられなかったときに、それにもかかわらず「感謝する」ことが「とげを感謝」することです。
きれいな「バラの花」を見て、「まあ、きれいな花(*^^*)」と、花だけを見て感謝するのではなく、「バラのとげ」も含めて感謝することは、成熟した人だけができる「次元の高い感謝」です。
パウロは、「とげ」が「恵み」であることに気付きました。
- 自分自身を謙遜にさせる。
- 神様に信頼させる。
- 結果、強くされる。
「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(Ⅱコリント12:10)
皆さんに「とげ」はありますか? 今の苦しい環境。人から言われたキツイ一言。夫や妻、子ども、上司や部下、同僚などの存在そのもの。さまざまな諸問題など。
「この人さえいなければ!?」「こういうことさえなければ!?」と思える「とげ」があるでしょうか?
「とげ」とは、あなたを刺して苦しめる全てのものです。
しかし、「とげ」のために、神様の前にひざまずき、助けを求め、感謝することができるなら、パウロのように、成熟した人に造り変えるための「神の恵み」となります。
今日、今朝。まず、自分の中に刺さって、チクチクと自分を痛める「とげ」のために、神の前にひざまずいて祈りましょう。それが感謝に変わったとき、「とげ」は「恵み」となり、あなたを成熟させ、成長させる「祝福」に変わります。
「とげ」のない人はいません。「とげ」を、「恵み」や「祝福」に変えるか、「罰」や「呪い」に変えるかは、あなたの祈りにかかっています。今祈って、「とげ」を「恵み」や「祝福」に変えていただいて、一日をスタートいたしましょう。祝福がありますように。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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